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ゴニン デ イッシュ





        互いの読みを持ち寄ることで、
        歌の味わいが変わっていく(かも)。
        毎月ある短歌1首について5人が鑑賞文を書く、
        「山羊の木」の期間限定企画です。
「ゴニン デ イッシュ」第3回(2009年11月)
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    今月の5人
    奥田亡羊――分かち書きゆえに可能となる表現
    小島なお――夢と現実の狭間を漂う
    佐藤通雅――これはプロポーズの歌だ
    永井祐――わたしはみずなと親しくない
    錦見映理子――どこにもない、どうしても必要なもの



    第3回の短歌は、今橋愛『O脚の膝』から、私の好きなこの1首を。歌の性格上いろいろな読みが出てくるだろうとは思っていましたが、歌の解釈、リズム感、鑑賞文の文体など、あらゆる面で、予想を上回るほどバラエティに富んだ5人が揃いました。

    今回お願いしたのは、論作共に活躍中、私とは深夜の工場地帯を散歩した仲(?)でもある奥田亡羊さん、角川短歌賞を最年少受賞、歌集『乱反射』も記憶に新しい小島なおさん、ハイクオリティな個人誌「路上」を発行し続けていらっしゃる佐藤通雅さん、学生時代からの友だちで、最近は口語短歌の鍵を握ると言われたり言われなかったりしている永井祐さん、そして、静謐なエロス漂う短歌が魅力の錦見映理子さん(50音順)です。



    「ゴニン デ イッシュ」とは
    | 第3回(みずな) | 06:02 | - | - | - | - |
    【第3回(みずな)】奥田亡羊
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      gonin3okuda



       まず、作品を一行に書き直してみたい。そうすることで、いろいろなことが見えてくるからだ。斜線は句の切れ目である。

      「水菜買いに/きた」三時間/高速を/とばしてこのへやに/みずなかいに。

       〈「水菜買いにきた」三時間高速を〉の部分が上句。初句が字余りである以外はきっちり定型に収まっている。〈とばしてこのへやにみずなかいに。〉は助詞の「に」で二つの句に分けられる。四句が九音、結句が六音の破調となるが、句と句のバランスは悪くない。全体では三十三音。思いのほか定型を意識した作品といえる。

       表記を見ると上句は漢字が多く、下句はすべて平仮名だ。また初句と結句は同じ言葉を繰り返している。上句と下句とを対比させて、そのニュアンスの違いを読ませるのが、この作品のねらいと考えてよいだろう。

       では、本来の四行表記に戻ろう。

       鍵括弧で括られている最初の「水菜買いにきた」は誰か他者に向けられた言葉だ。この唐突さと、初句の字余りのボリュームを抱えたまま次へとなだれこんでゆく勢いが、ある切迫した心理状態を伝えている。ところが歌のリズムは二行目の〈とばしてこのへやに〉で転調する。平仮名表記や三、四行目の改行が歌の勢いにブレーキを踏み、自らの意識へ沈潜してゆくような、訥々とした感じを生んでいる。後半は語りかける他者をなくしたモノローグなのだ。

       表現上のもっとも大きな特徴は見ての通りの“分かち書き”である。とくに結句の改行は歌のリズムを決定して重要だ。また、助詞の使い方にも特徴がある。二回繰り返される「水菜買いに」の「を」の省略は作中主体の口調を強く印象づける。さらに二行目と四行目の「に」の重なりは破調への重石としてうまく機能している。いずれも一行表記ではキズになりかねない部分だ。作者は分かち書きの効果と、分かち書きゆえに可能となる表現をよく心得ているのだろう。

       内容については、これがどんな場面なのか、「水菜」が何かの比喩なのかを知りたいところだが、いくら考えても答は出ないのかもしれない。たとえば「このへや」の「この」という指示語は、他ではない一つの部屋を指しながら、それがどのような場所なのかを語ろうとはしない。ヘンゼルとグレーテルのパンの道しるべのようなものだ。何らかの現実から詠み起こされたとしても、そこに戻る道はもう失われている。私たちはこの歌に残された悲しみだけを受け取ればよいのだ。



      奥田亡羊(おくだ・ぼうよう)
      1967年、京都生まれ。「心の花」会員。2005年、第48回短歌研究新人賞受賞。
      2008年、第一歌集『亡羊』で第52回現代歌人協会賞受賞。



      【第3回】他の4人を読む
      小島なお――夢と現実の狭間を漂う
      佐藤通雅――これはプロポーズの歌だ
      永井祐――わたしはみずなと親しくない
      錦見映理子――どこにもない、どうしても必要なもの

      「ゴニン デ イッシュ」とは
      | 第3回(みずな) | 05:48 | - | - | - | - |
      【第3回(みずな)】小島なお
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        gonin3kojima


         正直に言うと、よくわからない。三時間も高速を飛ばして水菜を買いに……?しかもこの部屋に……?近くのスーパーの水菜ではいけなかったのだろうか。部屋で水菜を売っている状況とはどのような状況なのだろう。

         理解しようと悩めば悩むほど、謎は深まるばかりである。そこではっとひらめく。本当は意味などないのではないか。内容以外の部分に、作者のメッセージが込められているのではないか。

         では一体どこからそのメッセージを読み取ったら良いのだろう。そこでまたはっとひらめく。よく見ると上の句から下の句にかけて、どんどんひらがなになっている。それはまるで、夢のなかにいるような曖昧でいまにも消えていきそうな印象だ。そして「かいに。」という半端な終わり方がいっそうその印象を強くしている。

         この短歌の魅力はここにあるのではないか。謎めいたことばを漢字からひらがなに変化させていくことで、夢と現実の狭間を漂っているようで、楽しいわけでもないが決して悲しいわけでもない、微妙な気持ちを表現しているのではないか。

         以上が私の勝手な憶測である。今度、今橋さんにお会いする機会があればぜひこの短歌について伺いたい。今から楽しみである。



        小島なお(こじま・なお)
        1986年東京生まれ。93年から94年在米。2004年青山学院高等部在学中に角川短歌賞受賞。
        2007年コスモス入会。同年歌集『乱反射』刊行。現代短歌新人賞、梅花文学賞受賞。
        2009年青山学院大学卒業。現在、会社員。



        【第3回】他の4人を読む
        奥田亡羊――分かち書きゆえに可能となる表現
        佐藤通雅――これはプロポーズの歌だ
        永井祐――わたしはみずなと親しくない
        錦見映理子――どこにもない、どうしても必要なもの

        「ゴニン デ イッシュ」とは
        | 第3回(みずな) | 04:21 | - | - | - | - |
        【第3回(みずな)】佐藤通雅
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          gonin3sato


           水菜といえば、もちろん野菜だが、しかしもちろん野菜ではない。恋人の名前だ。そしてこれは、プロポーズの歌だ。

           高速道で三時間なら、半端な距離ではない。ガソリン代も半端でない。ちょっとした意気込みがなければ、こうはできない。しかも目的は水菜の部犀を訪問すること。ただの訪問ではない。なんといったって会ったとたん抱きしめ、しめあげる、それから下半身におよぶ。しかし、それだけが目的なら、「水菜買いに」は「女買いに」と同じになってしまう。それ以上のことでなければ「三時間高速をとばして」は、意味がない。「オマエノマルゴトヲ、オレノモノニスルタメニキタ」が、ホントの意味だ。

           それならそうと、はじめから素直に「イッショニナッテクレ」といえばいいものを、ひねくってしかいえない。「女買いに」のきわどさをギャグに反転させることなしには、表明できない。

           「水菜買いにきた」と勢い込んで部屋に入つたものの、ちょっと気弱になり、「みずな/かいに。」とトーンを低める。水菜はどう反応するだろうか。「フーン」「キミ、ナニヤッテンノ」「ナニヨ、コンナジカンニ、三時間カケテ、 カエリナ」……。どれも、いい。



          佐藤通雅(さとう・みちまさ)
          1943年岩手県生まれ。個人誌「路上」を発行。歌集、歌論のほか、『新美南吉童話論』『詩人まど・みちお』『宮沢賢治東北砕石工場技師論』など児童文学分野の仕事も多い。
          http://www.h4.dion.ne.Jp/~rojyo/



          【第3回】他の4人を読む
          奥田亡羊――分かち書きゆえに可能となる表現
          小島なお――夢と現実の狭間を漂う
          永井祐――わたしはみずなと親しくない
          錦見映理子――どこにもない、どうしても必要なもの

          「ゴニン デ イッシュ」とは
          | 第3回(みずな) | 03:06 | - | - | - | - |
          【第3回(みずな)】永井祐
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            gonin3nagai


             この歌をはじめて読んだときは水菜を知らなかった。それまでに鍋とかで何回も食べていただろうけれど、あれが水菜という名前のものだというのがよくわかっていなかった。ほんとは今でもあやしい。みずな買ってこいと言われたらスーパーでラベルを確認する。知ってるけど知らないみたいな領域があって、水菜はわたしの中でそのカテゴリーに入る。このカテゴリーの言葉を含む短歌を読むのはどきどきする。ネットで画像検索してもだめだ。わたしはみずなと親しくない。

             歌の中の二人は水菜ともっと親しいのかなと思う。水菜に思い出があるのかな。この時にみずなが思い出になったのか。

             歌の空間構成、ということを考える。この歌を読むとなめらかにカーブするライトアップされた高速道路と、ぽっかり浮かんだ四角い部屋が見える。高速道路はすごく上から見た絵で、部屋はどこだかわからないところに白っぽく存在している。高速道路を通って部屋に行くわけだけど、その間のことは書いていないから、部屋は真空の中に浮かんでいるみたいに見える。マンションの部屋とか、アパートの部屋とか建物もわからないし、どんな街にあるのかもわからないので、部屋はぽっかり浮かんでいる。その下というか少し位相の違うところに高速道路がカーブしている。ライトがきれいだ。

             読むときは「みずな」の後にたっぷり溜めを作りながら読む。二行目をかなりつんのめり気味に来たので、ここで長く休止するだけの勢いが残っている。「かいに。」の後も頭の中で長めに休符を作って無音、というか音の余韻の後に終止する。改行と句読点がそういう読み方に導いてくれる。

             ではこれから水菜を買いにいこうかなとは思わない。何年も前にだかテキストの中にだか、みずなをネタにして思い出を作っていたカップルがいたんだなとは思った。これからもしばらくわたしはみずなとは親しくならない。何年も後にはなる可能性がある。カップルに対してはいつまでも仲良くいて下さいねとか、この瞬間は永遠ですねとかはあんまり思わない。二人ともお元気でぐらいのことを思う。



            永井祐(ながい・ゆう)
            1981年生まれ。早稲田短歌会、ガルマン歌会、さまよえる歌人の会等に参加。
            http://www.d2.dion.ne.jp/~famnagai/



            【第3回】他の4人を読む
            奥田亡羊――分かち書きゆえに可能となる表現
            小島なお――夢と現実の狭間を漂う
            佐藤通雅――これはプロポーズの歌だ
            錦見映理子――どこにもない、どうしても必要なもの

            「ゴニン デ イッシュ」とは
            | 第3回(みずな) | 01:46 | - | - | - | - |
            【第3回(みずな)】錦見映理子
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              gonin3nishikimi

               一人暮らしの女の子。夕食を作ろうとして、水菜が足りない、と車でスーパーに向かったはずだった。五分もかからない場所に行くはずだったのに、部屋を出て車に乗って、スーパーに着くまでの間に、心のなかで何事かが起こり、そのまま高速に乗り、三時間もかけて恋人の部屋まで来てしまった。そういう歌だと思う。

               この歌は、息をはずませている感じがする。四行詩みたいな表記だが、これは短歌であるから、このようなリズムで読むだろう。

              みずなかいに・きたさんじかん・こうそくを・とばしてこのへ・やにみずなかいに

              (6・7・5・7・8と、ほぼ定型が守られている。二つの「字あまり」も過剰な精神状態を表すのに効果的)

               この句切れに、行の分け目を/で挿入してみると、こんな風になる。

              みずなかいに・きた/さんじかん・こうそくを・とばしてこのへ・やに/みずな/かいに。

               音で読むリズムと表記の区切りが脳内で交わって、さらに歌は切れ切れになり、息がはあはあしている感じがするのだろう。

               この部屋には水菜は売っていないだろう。欲しいものはここには無い。でもここには、水菜よりもっと欲しいものが、私のいのちを左右するような、本当に欲しいものが、あるかもしれない。そうあってほしい。

               どこにもない、でもどうしても必要なもの。足りなくて、息が苦しい。それを探して、必死で息をはずませて、ここまで来た。その切実さに、強く胸を打たれる。



              錦見映理子(にしきみ・えりこ)
              未来短歌会所属。歌集『ガーデニア・ガーデン』
              http://www.ne.jp/asahi/cafelotus/eliko/



              【第2回】他の4人を読む
              奥田亡羊――分かち書きゆえに可能となる表現
              小島なお――夢と現実の狭間を漂う
              佐藤通雅――これはプロポーズの歌だ
              永井祐――わたしはみずなと親しくない

              「ゴニン デ イッシュ」とは
              | 第3回(みずな) | 00:00 | - | - | - | - |