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ゴニン デ イッシュ





        互いの読みを持ち寄ることで、
        歌の味わいが変わっていく(かも)。
        毎月ある短歌1首について5人が鑑賞文を書く、
        「山羊の木」の期間限定企画です。
「ゴニン デ イッシュ」第4回(2010年1月)
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    今月の5人
    高島裕――この時代を生き抜こうとする意志
    谷村はるか――罪もまた賜わり物
    東郷雄二――馬場が引き受けようとしている宿命とは
    服部真里子――少女は息をのみ、うなずく
    虫武一俊――月も闇をそばに抱えている



    またまた更新が遅くなってしまいました。第4回の短歌は、馬場あき子『桜花伝承』から。これまでの歌とは別の意味で「ムズカシイ」一首かもしれませんが、5人の方の鑑賞文で、その魅力が読み解かれていきます。

    今回お願いしたのは、富山から静謐な個人誌「文机」を発信、[sai]の同人でもある高島裕さん、昨年出版された歌集『ドームの骨の隙間の空に』が話題の谷村はるかさん、ハイクオリティな短歌評でお馴染みの東郷雄二先生、俊英揃いの早稲田短歌会の中でもひときわ個性の光る服部真里子さん、各種投稿欄で活躍中、やさぐれポップな作風が魅力の虫武一俊さん(50音順)です。



    「ゴニン デ イッシュ」とは



    関連ページ
    東郷雄二さん「橄欖追放」短歌における読みについて
    岡本雅哉さん「ロクニン デ イッショ♪」第4回
    | 第4回(罪) | 04:51 | - | - | - | - |
    【第4回(罪)】高島裕
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      ゴニンデイッシュ高島


      一読、古典和款を踏まえているのがわかる。和泉式部の「冥きより冥き道にぞ入りぬべきはるかに照らせ山の端の月」「中空にひとり有明の月を見て残る限なく身をぞ知りぬる」などがすぐに思い浮かぶ。夜の闇の高みにひときわ明るく、美しく浮かぶ光体は、人の心の暗部、人間存在の抱えるどうしようもない罪業を照らし出し、人にその自覚を促すものと思念され、和歌の宇宙に位置づけられた。その伝統的位置づけは、現在のポップミュージックの歌詞にまで継承されている。

      この一首の見どころは、月についてのこうした伝統的位置づけを踏まえつつ、それを逆の視点から捉え返している点である。月は罪を得た身が眺めてこそ真に美しい。残念ながら非力な私は未だ大した罪を犯しておらず、月の真の美しさを知らない。

      こういう逆説的な見方は、古典和歌の時代に比して、現代がどうしようもなく卑小な時代であることへの嘆きを秘めている。が、同時に、若々しい息づかいを感じさせる二句切れのリズムや、硬質な詞が続くのに耐えかねたように結句に溢れ出した口語的な「いる」などからは、今のこの時代を生き抜こうとする力強い意志と希望が感じ取れる。

      古典和歌の美的宇宙を軸としつつ、そこから今を生きる自分を見つめ、問い返している。硬質な詞を用いているにもかかわらず、みずみずしい感触が心に残る歌である。



      高島裕(たかしま・ゆたか)
      個人誌「文机」を発行。歌集『薄明薄暮集』『高島裕集』ほか。



      【第4回】他の4人を読む
      谷村はるか――罪もまた賜わり物
      東郷雄二――馬場が引き受けようとしている宿命とは
      服部真里子――少女は息をのみ、うなずく
      虫武一俊――月も闇をそばに抱えている

      「ゴニン デ イッシュ」とは
      | 第4回(罪) | 04:07 | - | - | - | - |
      【第4回(罪)】谷村はるか
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        ゴニンデイッシュ谷村


        ポイントのひとつは「得て」。

        〈罪を「得た」者だけが、この月を見る資格がある。見ればぞくりとするような強い光、昼の世界とはまったく別の世界を現出させている、この月。罪を犯さない、犯せない私にはこの月を見る資格はない。月に背を向けて闇を抱くだけだ。〉

        「得る」には普通、利益を得るとか、愛情を得るとか、よいものが幸運によってもたらされるというニュアンスがある。罪もまたそのようなものだと歌は言う。「罪得て」には、悪人だけでなく、やむにやまれず罪と呼ばれる行為をなさざるを得ない状況に追い込まれた者をも含んでいる感じがあり、それもまた賜り物なのだと言うようである。

        「犯さざる非力の腕」を、散文的に「かよわい善人の私」とナルシシズムに解釈すべきでない。一首にはあこがれが満ちている。そしてもうひとつのポイントは結句の「闇よせている」。もし「闇よせており」と文語で結べば(この歌集は新かなですね)、歌の形(かた)はもっと決まったかもしれない。しかし、末尾にきてふと口を漏れてしまった現代語でのつぶやきは、隠していたほんとうのこころね、あこがれる側の気弱さがほころびから覗いたという風で、すこし悲しく、魅力的だ。



        谷村はるか(たにむら・はるか)
        歌集『ドームの骨の隙間の空に』。「短歌人」「Es」同人。


        【第4回】他の4人を読む
        高島裕――この時代を生き抜こうとする意志
        東郷雄二――馬場が引き受けようとしている宿命とは
        服部真里子――少女は息をのみ、うなずく
        虫武一俊――月も闇をそばに抱えている

        「ゴニン デ イッシュ」とは
        | 第4回(罪) | 03:38 | - | - | - | - |
        【第4回(罪)】東郷雄二
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          ゴニンデイッシュ東郷


           歌は一首の屹立をめざすべしとの立場に立てば、一首の読みは同じ作者の他の歌や作者の境涯とは独立してなされるべきだろう。今仮にその立場で読むとすると、この歌は上二句と下三句に分かれる。上句の「罪得てぞ月は見るべし」は、古事談の「あはれ、罪なくして配所の月を見ばや」や、徒然草の「配所の月、罪なくて見ん事」をただちに思い出させる。「配所の月」は古典的テーマであり、罪もないのに配流の憂き目に遭い、侘びしく月を眺めるあはれを意味するが、馬場はこれを逆転して、そのような境遇でこそ月は見るべきだと言う。罪を得てこそ月の光は冴える。そこに宿命を引き受けようとする作者の強い決意が感じられる。

           上句の決然とした言挙げとは対照的に、下句の歌意は取りにくい。「犯さざる非力の腕」は自分の非力を嘆いているのだが、何に対する非力かは明らかでない。また結句の「闇よせている」は文語を基調とする馬場には珍しく口語で、「寄せる」には「波が寄せる」の自動詞用法と、「白波が玉藻を寄せる」の他動詞用法とがあり、これも判然としない。しかしここは自動詞と取り、「闇が非力の腕に寄せている」と解釈すべきだろう。この闇は単なる夜の暗さではなく、自らの非力を痛感する心情と呼応する心の闇でもあることは言を俟たない。

           馬場はいかなる宿命を引き受けようとしているのか、また何に対する非力か。この解釈は一首に課した枠をはみ出す。この歌は馬場の第五歌集『桜花伝承』(1977年)収録の「ばさら絵」連作中の一首である。同歌集には、「五蘊皆空さあれ飢えあるきさらぎや見えざる餓鬼の群れにわが居る」や、「川の辺に臥して思えば身のつよき思想ならずや野たれ死にとは」といった強い思いを吐露した歌が多くある。あとがきで馬場は、戦争に押しつぶされた青春の中で桜への複雑な思いが生まれたと語っている。ならば馬場が引き受けようとしている宿命とは、戦火にまみれた過去の青春であり、また選び取った風狂の道の果てにある野垂れ死という恩寵であろう。「罪得てぞ月は見るべし」という断定は、このような強い決意から発したものだと思われるのである。スーパーフラットと化した現代においては、すでに望むべくもない古譚の観すらある。



          東郷雄二(とうごう・ゆうじ)
          本業は意味論や談話理論を研究する京都在住の言語学者。自身のホームページで2003年4月から2007年4月まで「今週の短歌」で短歌評を書き、2008年4月から「橄欖追放」として再開。
          「今週の短歌」http://lapin.ic.h.kyoto-u.ac.jp/tanka/tanka.html
          「橄欖追放」http://lapin.ic.h.kyoto-u.ac.jp/tanka/kanran.html


          【第4回】他の4人を読む
          高島裕――この時代を生き抜こうとする意志
          谷村はるか――罪もまた賜わり物
          服部真里子――少女は息をのみ、うなずく
          虫武一俊――月も闇をそばに抱えている

          「ゴニン デ イッシュ」とは
          | 第4回(罪) | 03:26 | - | - | - | - |
          【第4回(罪)】服部真里子
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            ゴニンデイッシュ服部


            「あはれ罪なくて配所の月を見ばや」──罪を犯さずして、配流の地の月を見たいものだ、と語った男がいた。人里の喧騒から遠く離れて、ひそやかに月と正対する時間を持ってみたかったのだろう。なるほど、確かに月には、人の魂を研ぎ澄ませる何かがある。なにひとつ恥じるところのない、清冽な心もちで見上げたなら、その光はどれほど美しいことだろう。

            しかし──違う、とこの歌は言うのである。

            それは、月の真の美しさではないと。月というものは、罪を得てこそ見るべきだと言うのである。

            白日の下では身をひそめ、闇の中にのみ姿を現す天体の艶冶な美しさは、罪を犯したことのない者にはわからない。心のどこかに枷をつけた者だけが、その翳りある美貌を感じとることができるのだ。

            「犯さざる非力の腕」は、少女のものだろうか。その幼さと非力さゆえに、彼女はまだ汚れを知らない。ただ、世界の不思議さへの憧れをいっぱいに湛えた目で、夜空に懸かる月を見ている。仄青い光に触れてみたくて、そっと両腕をさしのべる。

            その腕に、ひたりと寄り添ってくる闇がある。君はまだ月の真の美しさを知らない、知りたくはないのかい、と誘いかけるように。少女は息をのみ、目を見開いて、ひとつ大きくうなずくだろう。そして彼女は、月を仰ぐにふさわしい女性となるのである。



            服部真里子(はっとり・まりこ)
            1987年横浜生まれ。町・早稲田短歌会所属。歌歴4年目。


            【第4回】他の4人を読む
            高島裕――この時代を生き抜こうとする意志
            谷村はるか――罪もまた賜わり物
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            虫武一俊――月も闇をそばに抱えている

            「ゴニン デ イッシュ」とは
            | 第4回(罪) | 03:04 | - | - | - | - |
            【第4回(罪)】虫武一俊
            0
              ゴニンデイッシュ虫武


              この歌のポイントは、「腕」はどっちのものか? というところにあると思います。月を見ている歌の主人公か、月そのもののものか。

              今回、私は『「腕」は月のもの』という側に立って読みました。決め手になったのは、月と闇の関係の深さです。

              私は高校生のとき、いつも星を見ながら家に帰っていたのですが、星を見る癖のある人間にとって月は邪魔な存在です。明るすぎて、まわりの星を消してしまうからです。

              星の消えた空間は、文字通りなにもない暗闇です。つまり、「完璧な闇」になっています。

              いまでこそ文明の発達により街灯やネオンなどからによる似たような闇がありますが、世界のどこにいても、どこからでも見ることができる「闇」は月のまわりのものだけです。そして文明以前、人類以前からあったものも、また月だけ。月のまわりの「闇」は、地球の夜空に最初に出来た「完璧な闇」と言えます。

              月と闇は、地球においてほとんど同じ時間を過ごしてきているわけです。十分に、関係の深いものと言えるのではないでしょうか。

              罪、闇、と単語を並べられると、やはりそのふたつを関連づけて考えてしまいます。

              月は生まれたときから、そこにいるというだけで、闇をよせてしまっている。しかも地球の夜空において、最初に完璧な闇をよせたものとして。宿命、と言えるかもしれません。なにかを傷つけようとしているわけではないのに、腕の内側、ふところに闇はよせられ、入りこんでしまう。

              ただ生きてきただけだったのに、どうしようもなく罪を得てしまった。自分じゃない、と叫びたくても、自分以外のほかの誰にも渡りえないようなものを。

              そうした立場になってしまったとき、ふと夜空を見上げてみると、月も闇をそばに抱えている。なのにまったく堂々としていて、夜空にまぶしく輝いている。

              おそらくこの歌の主人公は、そんな月の姿に励まされたことがあるのではないでしょうか。

              月の明るい夜が、これからはいままでと違って見えてきそうです。



              虫武一俊(むしたけ・かずとし)
              1981年生まれ。大阪府に育ち、現在も在住。2008年に短歌を始める。
              http://blog.livedoor.jp/kitakawachi/


              【第4回】他の4人を読む
              高島裕――この時代を生き抜こうとする意志
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              | 第4回(罪) | 02:55 | - | - | - | - |