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ゴニン デ イッシュ





        互いの読みを持ち寄ることで、
        歌の味わいが変わっていく(かも)。
        毎月ある短歌1首について5人が鑑賞文を書く、
        「山羊の木」の期間限定企画です。
「ゴニン デ イッシュ」第6回(逆)
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    gonin6


    今月の5人
    宇都宮敦――孤絶の希求が連帯の希求に重なる
    岡本雅哉――これだから自意識過剰な人は
    荻原裕幸――社会が社会の視点を取り戻した
    加藤治郎――日常の秩序が狂っていく
    松村正直――すこぶる現代的な、デジタル時代の歌



    最終回、第6回の短歌は、穂村弘「出ようとしては切りまくる買い換えた携帯電話のボタンが逆」(「短歌」2010年5月号)です。

    今回お願いしたのは、非常に切れ味の鋭い論と作品で新しい短歌を拓く宇都宮敦さん、各種投稿サイトなどで活躍中、ご自身のブログで「ゴニン デ イッシュ」第1回からずっと併走し続けてくださった岡本雅哉さん、ニューウェーブ短歌・ネット短歌の長兄的存在(?)荻原裕幸さん、エネルギッシュに現代短歌の現在を担い続ける加藤治郎さん、「やさしい鮫日記」好評更新中、塔短歌会編集長の松村正直さん(50音順)です。

    最近の穂村弘さんの短歌の面白さ/語り難さがぎゅぎゅっと詰まった回になりました。

    「ゴニン デ イッシュ」は、今回で終了します。
    ご参加くださった皆様、読んでくださった皆様、本当にありがとうございました。

    この記事と、「ゴニン デ イッシュ」とはのみ、コメント・トラックバックできる設定になっています。ご意見、ご感想をお待ちしております。



    「ゴニン デ イッシュ」とは
    | 第6回(逆) | 01:38 | comments(10) | trackbacks(0) | - | - |
    【第6回(逆)】宇都宮敦
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      gonin6utsunomiya


      「携帯電話を買い換えたら、通話ボタンと終話ボタンの位置が前の電話と逆なので、着信があったときに何度も押し間違えてしまう」ってことを詠んだ歌で、内容的にはそれ以上でもそれ以下でもないと思うけど、こう書き下すと「あるあるとほほネタ」的なニュアンスを含んでしまって、それはちょっと待ってと言いたくなる。油断すると、あー、こういうことありそー、みたいに共感センサーが反応しそうになるが、そもそも、通話ボタンと終話ボタンが逆位置の携帯電話なんてあったっけ? や、僕がその手のデバイスに詳しくないだけで実際あるのかもしれないけれど、あったとしてもかなりの少数派だろう。なので、この歌の主人公は「あるある」な状況におかれているというよりも、むしろ、ありえない状況に放り込まれているといえるのではないか。

      んー、放り込まれている、っていう悪夢的な感じもなんか違うか。だって、二句が「切“り”まくる」でしょ。否応なしの状況での、右往左往だったり、困惑だったり、(おおげさだけど)絶望だとしたら「切“れ”まくる」と受動態になるんじゃないかしら。

      リズムの面でも、結句の6は、助詞や助動詞を補えばかんたんに7になるのに(例:ボタンが逆だ)、そうしないことで、やっぱり共感を阻んでいるし、この結句6音がかすむほどの二句2音欠落はそこに強い意志があるからだろう(たんに、不通状態のリズム的な見立てでしかないとしたら、この二回の字足らずはやりすぎだと思う)。

      結局、僕が感じたことを端的に表せば、自覚的に間違え続けるために、きわめて人工的にありえない状況を(それが言いすぎなら、かんたんに回避できるはずの状況を)こしらえている歌、ということになります。

      こう書いちゃうと、たんにマッチポンプでキレているだけの歌になってしまうが(実際、はじめ、ここで読むのをやめようかなと思ったりもしたが)、この二重の虚構性は、より深い孤絶を、もしくは、拒絶してさえも通じる奇跡的な連帯を希求するために生じているのだと思う。

      僕の読みは、初句「出ようとしては」を字義通りとって、孤絶よりも連帯の希求のほうに重心を置きたい感じ。もっと言えば、孤絶の希求が連帯の希求に重なるようなどこかに向けて作られた歌なんじゃないかなあと思うのです。



      宇都宮敦(うつのみや・あつし)
      2000年3月、枡野浩一仮設ホームページのBBS「マスノ短歌教信者の部屋」に迷い込んだことがきっかけで短歌を作りはじめる。第4回歌葉新人賞次席。
      ブログ「Waiting for Tuesday」http://air.ap.teacup.com/utsuno/


      【第6回】他の4人を読む
      岡本雅哉――これだから自意識過剰な人は
      荻原裕幸――社会が社会の視点を取り戻した
      加藤治郎――日常の秩序が狂っていく
      松村正直――すこぶる現代的な、デジタル時代の歌

      「ゴニン デ イッシュ」とは
      | 第6回(逆) | 01:36 | - | - | - | - |
      【第6回(逆)】岡本雅哉
      0
        gonin6okamoto


        穂村弘の作品で、“動作”を詠んだ短歌としては、
        次の一首が思い浮かんだ。

         「自転車のサドルを高く上げるのが夏をむかえる準備のすべて」

        シンプルでありながら、魅力的な情景を詠った傑作だと思う。


        しかし、今回のテーマとなった短歌は、ちょっとキャラ間違えてない?
        そう思うくらい、なんてことのない歌である。

        “携帯電話を変えたあと、電話に出ようと思ったら、
        「通話ボタン」と「終話ボタン」の位置が、
        それまで使っていたものとは左右逆に付いていて、
        そのたび「終話ボタン」を押して電話を切ってしまい、
        あせるあまりボタンの位置を確認することも忘れ、
        何度も何度も相手からの電話を切ってしまった。”


        ……で?

        これはまさか、作者のエッセイでおなじみの、
        “世界音痴な私”アピールですか……?

        あ、そういうの僕、間に合ってるんですよね……。
        こう見えてもけっこう、原田宗典とか好きで、
        もうトホホ体験は食傷気味っていうか、
        やっぱり穂村さんには「シンジケート」みたいな短歌を……。


        いや、ちょっとまてよ。

        携帯電話のボタンって、みんな一緒の位置じゃなかったっけ?

        僕の経験上、機種変更しても、
        「左は通話ボタン」、「右は終話ボタン」、
        それは変わらなかったはず……。
        業界基準で決まってたりするんじゃなかろうか……。


        ―“総務省総合通信基盤局電気通信事業部”に電話して聞いてみました。

        結論から言えば、
        国内で販売されている携帯電話の構造は、やはり。
        「左が通話ボタン」、「右が終話ボタン」、
        という形になっているそうです。

        そうなると、
        「買い換えた携帯電話のボタンが逆」、
        この部分の意味がわからない。


        ……思い出した。

        かつてきいた、作者の人柄についての噂。

        なんでも、せっかくメガネをやめて、
        コンタクトレンズを入れたのにも関わらず、
        “あいだにメガネという壁を挟むことなしに、いきなり世界と向き合うなんて無理だ”、
        なんてよくわからない言い訳をして、
        コンタクトをした目の上から、
        “レンズなしメガネ”をかけていたような男だという。
        なんて、めんどくさい……。

        だからきっとこの短歌は、
        作者のそういう類の感受性が暴走した結果、
        「最新の携帯だから、ボタンが逆になっているくらいの進化はしてるだろう」、
        そう思い込んで逆のボタンを押しまくってしまった、
        そんなところだろう。
        とても、めんどくさい……。


        そう自分を納得させていたところ、
        先日、職場に営業に来た若いサラリーマンが、
        打ち合わせの際、
        傍らにいまをときめくiPhoneを置いた。


        もしや、と思って聞いてみたところ、なんと。

        iPhoneの「通話ボタン」と「終話ボタン」は、
        通常の日本の携帯電話とは逆についているという。
        通話ボタン、間違えなかった?と訊くと、

        「やっぱり最初は切っちゃいましたね……」


        そうか!

        穂村氏はiPhoneに乗り換えたんだ。
        それを遠回しに表現したのがこの短歌だったんだ。
        素直にiPhone持ってますよ、といえばいいのに。
        これだから自意識過剰な人は……。
        ほんと、めんどくさい……。


        でも、考えてみれば、

        「自転車のサドルを高く上げるのが夏をむかえる準備のすべて」

        この歌も、一見かっこいいけど、
        作者がこう思って、「決まった……フッ」、
        なんて悦に入っているのを尻目に、
        彼のパートナーは、
        たんすにぐちゃぐちゃに入った彼の夏服の準備や、
        「行こう」と言ったっきり手付かずの帰省旅行の計画や、
        よく飲むくせに作者はつくらない麦茶のポットやティーバッグの準備など、
        すべての夏をむかえる準備を一手に引き受けて、
        てんてこまいなんじゃないか。
        穂村弘。やっぱり、めんどくさい……だけど好きだ。



        岡本雅哉(おかもと・まさや)
        東京都生まれ。2005年、枡野浩一の「かんたん短歌blog」をきっかけに作歌を始める。主に「かんたん短歌blog」、「笹短歌ドットコム」、「かとちえの短歌教室シリーズ」等に投稿。企画『“Perfume”で付け句!(2008〜)』、『ロクニン デ イッショ♪(2009〜)』。単語帳風短歌集『Schoolgirl Trips(2009)』。
        blog「なまじっか…」 http://furyu.way-nifty.com/namajikka/
        Twitter ID @masayaokamoto


        【第6回】他の4人を読む
        宇都宮敦――孤絶の希求が連帯の希求に重なる
        荻原裕幸――社会が社会の視点を取り戻した
        加藤治郎――日常の秩序が狂っていく
        松村正直――すこぶる現代的な、デジタル時代の歌

        「ゴニン デ イッシュ」とは
        | 第6回(逆) | 01:21 | - | - | - | - |
        【第6回(逆)】荻原裕幸
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          gonin6ogihara


          穂村弘の短歌の印象が大きく変化したと感じたのは、歌集『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』をまとめる直前の頃だが、一人称を手紙魔の女性として設定するなど、方法的なファクターが表面を覆っていて、根本のところで何が変化したのか、まるで理解できないでいた。昨今の作品を読むと、その変化が何によるものなのか、少しづつあきらかになって来ているように思う。単純化して述べてしまうと、以前は、たとえば歌集『シンジケート』に見られるように、私の失敗、を絶対的に許容しつづける誰かの存在が感じられて、以後は、私の失敗、を無言で責め続ける誰かの存在が感じられるのだ。

          この「携帯電話」の一首は、以前から変化のない、どこかちょっと不器用な一人称が描かれてはいるが、以前には見られた、誰か絶対的な許容者に支えられながらそれを笑いとばしてしまうだけの明るさがどこにもない。読者としても、読んでこの不器用さを笑うことに何かためらいが生じるのだ。それほど不器用ならもっと慎重に行動しろよ、とも思うのだが、これだけ単純な動作で失敗を繰り返す背景には、よほどの焦慮や緊張が渦巻いているのだと考えるのが妥当だろう。以前、不器用なのにスマートな行動に憧れるという印象だった一人称はここにはおらず、誰かに無言で失敗を責め続けられるがゆえ、不器用なのに完璧な行動を求める一人称の姿が浮かんで来る。行動の基準にあるものが、恋人の視点から社会の視点に変化したと言えば、そこに一人称の成長に類するものを見ることもできそうだが、一九八〇年代は、社会の視点が恋人の視点であって、現在は、社会が社会の視点を取り戻したのだと、そう理解しておいた方が的確な気はする。



          荻原裕幸(おぎはら・ひろゆき)
          1962年生まれ。名古屋在住。歌人。
          ブログ http://ogihara.cocolog-nifty.com/


          【第6回】他の4人を読む
          宇都宮敦――孤絶の希求が連帯の希求に重なる
          岡本雅哉――これだから自意識過剰な人は
          加藤治郎――日常の秩序が狂っていく
          松村正直――すこぶる現代的な、デジタル時代の歌

          「ゴニン デ イッシュ」とは
          | 第6回(逆) | 01:19 | - | - | - | - |
          【第6回(逆)】加藤治郎
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            gonin6kato


             電話がかかってくる。「切りまくる」というのだから、実際にはまず出るのだ。「出ようとしては」出て「切りまくる」ということである。意識が一部飛んでいるのだ。何回も電話がかかってくる。そして「切りまくる」。借金の催促でないとすれば、これは女性からの電話である。女性からしつこく電話がかかってくるのだ。女性からの電話に男も参っている。だから意識が切迫して場面が飛ぶのである。携帯電話を買い換えたのも、電話番号を変えるためだ。それもすぐ突き止められた。怖ろしい。下句は、ボタンの配列が逆ということだ。123456…ではなく、789456…と並んでいる。日常の秩序が狂っていく様を象徴している。
             句の構成は〈出ようとしては/切りまくる/買い換えた/携帯電話の/ボタンが逆〉で、7・5・5・8・6と読みたい。初句7音、下句の8音・6音は、猖榾雄調である。この歌の場合、いびつで不条理な感覚を反映している。



            加藤治郎(かとう・じろう)
            1959年、名古屋市生まれ。早稲田大学教育学部社会科卒業。現在、富士
            ゼロックス株式会社ソリューション・サービス営業本部勤務。ブログは、
            http://jiro31.cocolog-nifty.com/


            【第6回】他の4人を読む
            宇都宮敦――孤絶の希求が連帯の希求に重なる
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            荻原裕幸――社会が社会の視点を取り戻した
            松村正直――すこぶる現代的な、デジタル時代の歌

            「ゴニン デ イッシュ」とは
            | 第6回(逆) | 01:17 | - | - | - | - |
            【第6回(逆)】松村正直
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              gonin6matsumura


               新しく買った携帯電話の「通話」と「切断」のボタンが以前のものとは左右逆になっていて、電話に出ようと思ってボタンを押すたびに間違って電話を切ってしまう、という歌。確かに、携帯電話の「通話」「切断」のボタンはエレベーターの「開」「閉」のように紛らわしい。

               言葉の上では「切りまくる」の「まくる」がいいのだろう。電話を「掛けまくる」とはよく言うが「切りまくる」というのは珍しい。戯画的な表現ではあるけれど、作者の慌てている感じがよく出ていると思う。5・7・5・7・7の定型と7・5・5・8・6(出ようとしては/切りまくる/買い換えた/携帯電話の/ボタンが逆)の意味の切れ目とのギクシャクしたリズムや最後が「逆」でプツリと終っている所も、混乱と動揺を表すのに効果的だ。

               でも、この一首だけであれば、取り立ててどうってことのない歌だろうと私は思う。

               連作で読むと少し違ってくる。この歌より前に「黒電話」の歌が二首出てくるのだ。

                僕んちに電話が来たぞつやつやのボディーに映る3つの笑顔
                黒電話が家に来た日を思い出す 今朝シュレッダーが家に来た

               そう言えば、昔の黒電話だったら受話器を「取る」「下ろす」の動作を間違えるはずもなかったよなぁ、と思う。懐かしい黒電話の歌を背景にして読むと、この携帯電話の歌はすこぶる現代的な、デジタル時代の歌という気がしてくる。そこが一番のポイントだろう。私たちは、こうしたボタンの位置などを、言わば無数に覚えていかなければ、うまく生きていくことができないのだ。

               私の持っている携帯電話の「通話」「切断」のボタンには黒電話のマークが描いてある。それぞれ受話機が上った状態と下りている状態の絵だ。こんな絵だって、時代とともにいつか無くなっていくのだろう。(もう無くなっているのか?)



              松村正直(まつむら・まさなお)
              1970年東京生まれ。塔短歌会編集長。歌集に『駅へ』『やさしい鮫』。現在、初めての評論集を準備中。
              HP 「鮫と猫の部屋」http://www.ac.auone-net.jp/~masanao/
              ブログ「やさしい鮫日記」http://blogs.dion.ne.jp/matsutanka/


              【第6回】他の4人を読む
              宇都宮敦――孤絶の希求が連帯の希求に重なる
              岡本雅哉――これだから自意識過剰な人は
              荻原裕幸――社会が社会の視点を取り戻した
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              「ゴニン デ イッシュ」とは
              | 第6回(逆) | 01:00 | - | - | - | - |