2009.08.16 Sunday
【第1回(あさがお)】 川野里子

朝顔はなぜ朝咲くのか。昼顔、夕顔、と並べてゆくと、朝顔は朝という時を「選んで」咲くのだと思える。自然の営みの中で、生き残るために選ばれたに違いないその選択は、はかないようであって、微かに意志的でもある。その微かさに吉川の嗅覚が働いているのだ。人は人を選べるのだろうか?それは偶然か、意志か、運命か。人が人と出会う不思議は、それら人間界の手垢にまみれた言葉で考えるより、朝顔が朝を選んで咲く、あの微かな意志に代弁させたほうがずっといい。
短歌でしか描けないこの世の隙間に宿る事物の神聖さを吉川は好んでいる。それはしばしば薬を調合するときの指先の敏感さのようで、天秤に粉末をあとわずかに足すためにトントンと微かに人差し指で匙を打つ時の風景さえ浮かんでくる。あと一つトンと指さきを動かせば自然界のあの不思議が掴めるだろう。そのトンの加減に全神経を集中している薬剤師の後ろ姿が思われる。
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川野里子(かわの・さとこ)
1959年大分県生まれ。23歳で作歌を始め、歌誌「かりん」に入会。
馬場あき子に師事。現在かりん編集委員。
歌集に『五月の王』『青鯨の日』『太陽の壷』。
2009年6月『幻想の重量 葛原妙子の戦後短歌』出版。
【第1回】他の4人を読む
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■チェンジアッパー――おだやかな空気感
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■「ゴニン デ イッシュ」とは