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ゴニン デ イッシュ





        互いの読みを持ち寄ることで、
        歌の味わいが変わっていく(かも)。
        毎月ある短歌1首について5人が鑑賞文を書く、
        「山羊の木」の期間限定企画です。
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【第2回(卵)】本田瑞穂
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    gonin2honda


     はじめこの歌の眼目は、なんといっても「昼深し」だと思っていた。昼も爛けて、というようなニュアンスかと思うが、あたかも神の手が生まれる前の状態である卵をつかみにくるような絵も浮かぶ、運命論的な読みもできるこの歌の三句に「昼深し」があることによって、少しカメラがひいてまわりの風景が目に入ってきて、いくらか現実的な手触りが加わるように思う。「深し」という言葉で、単純に卵をつかみにくる手が下りてくる動作が強調されるということもあるが、そこで逆に観念だけではない、実際の手とか卵とか、生きたものが存在するような奥行きができるのだと思った。そういうものが感じられてはじめて、『雲母集』のこの歌を含む冒頭の一連である「新生」、新しい人生や歌がはじまるといった意味に触れるように思う。

     しかし『雲母集』を読むと、このすぐあとに二首も三句目に「昼深し」を使っている歌があるし、他にも中盤に一首、それから「昼ふかみ」という言葉もところどころでみることができる。とりたててこの一首のためだけに置かれた言葉というわけではないようだ。少し拍子抜けしたが。

     正直に言うと、『桐の花』の中にある「昼の思」の文章がとても好きなので、自分がこの影響を受けて白秋の歌を読んでしまうところがある。

    (前略)私達は時としてその繊細な平安調の詠嘆、乃至は純情の雅やかなる啜り泣き、若くは都鳥の哀怨調に同じ麗らかな心の共鳴を見出す事はある、而しなほ苦い近代の芸術にはまだその上に耐へがたいセンジュアルな日光の感触と渋い神経の瞬きとを必要とする。繍銀の昼の燻しを必要とする。


     「昼の思」から引用した。この前にも魅力的な記述があって、その部分を読むと、夜や闇や様式のなかで艶をみせるものが、白昼にあるときにみせるある種の痛ましさのようなものが感じられるのであるが、それが「苦い近代の芸術にはまだその上に耐へがたいセンジュアルな日光の感触と渋い神経の瞬きとを必要とする」ということなのだと思う。この一首は大きな調べで「けるかも」でおさめられているが、「昼深し」の風景のなかにあることで成り立っているように感じた。

     『雲母集』の歌は『桐の花』で完成したものを破壊しようとしたと白秋自身がのちに述べているし、この「昼深し」は、暮らした三崎の昼の記憶(実景)からくるものかもしれないけれど、やはりおなじひとりの歌人が作る歌である、どこかで通底しているのだろうと思いたくて、こんな風に読んでしまうのである。



    本田瑞穂(ほんだ・みずほ)
    歌人集団「かばん」所属。歌集に『すばらしい日々』。最近は編み物のことばかりのブログ「きっとどこかに集まる部屋が」http://bluejourney.jugem.jp



    【第2回】他の4人を読む
    生沼義朗――禍々しいまでに暗い予兆
    奥村晃作――食のテーマに真っ向から挑戦した作
    田中槐――神によってひとつの卵が選ばれた瞬間
    辻井竜一――いくつかのシチュエーションにおいてこの歌を読むと

    「ゴニン デ イッシュ」とは
    | 第2回(卵) | 20:55 | - | - | - | - |