SELECTED ENTRIES
CATEGORIES
ARCHIVES
MOBILE
qrcode
LINKS
PROFILE
OTHERS

09
--
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
--
>>
<<
--

ゴニン デ イッシュ





        互いの読みを持ち寄ることで、
        歌の味わいが変わっていく(かも)。
        毎月ある短歌1首について5人が鑑賞文を書く、
        「山羊の木」の期間限定企画です。
<< 【第2回(卵)】奥村晃作 | main | 「ゴニン デ イッシュ」第2回(2009年9月) >>
【第2回(卵)】生沼義朗
0
    gonin2honda


     一読、幻視の歌であり、卵も大きな手も比喩のそれとして読んだ。

     〈累卵の危うき〉などと言う通り、非常に不安定で危険な状態の喩にも使われる卵を、巨人が上からわしづかみにする。「上」も単に方向だけでなく、天や神に対する感覚が内包されている。しかも「手があらはれて」だから、手が最初から存在するのではない。「大きなる手」が突然「あらはれ」るのである。得体の知れない恐怖や不安、さらに<負>が自分たちのいる場所に迫りつつあることの不気味さが「あらはれて」によくあらわれている。

     根拠は「昼深し」の位置だ。語順から察するに、単に昼間に大きい手が鶏か何かの卵をつかんだという歌意ではあるまい。それなら「昼深し」が初句にあっても構わないことになってしまう。「昼深し」が三句にあることにより、「大きなる手」が「昼」にそれこそ深い影を落とす。むしろできた影が一首の眼目と読むべきだろう。

     北原白秋の第二歌集『雲母集』巻頭近くにある「卵」三首一連の二首目。前の歌は〈煌々(くわうくわう)と光りて深き巣のなかは卵ばつかりつまりけるかも〉である。いずれも描かれた景色は一見明快で牧歌的と呼んでいいほどに明るいが、裏面には禍々しいまでに暗い予兆がべったりと貼りついている。そこに気づくとき、一枚の明るい風景は一気に陰画(ネガ)の様相を呈す。掲出歌の力であり、また短歌という器の底知れなさでもある。

     さてその後、卵はどうなったか。割られたか、持ち去られたか、はたまたその場で丸呑みにされたか。いずれにせよ、夜までにはまだ多少の時間がある。その間、作品の時間と解釈はまだ読者の掌中にある。



    生沼義朗(おいぬま・よしあき)
    1975年、東京都新宿区生まれ。 93年、作歌開始。「短歌人」[sai]各同人。歌集『水は襤褸に』(第9回日本歌人クラブ新人賞)、共著『現代短歌最前線 新響十人』。活動状況は http://www.geocities.co.jp/oinumayoshiaki/ 参照のこと。



    【第2回】他の4人を読む
    奥村晃作――食のテーマに真っ向から挑戦した作
    田中槐――神によってひとつの卵が選ばれた瞬間
    辻井竜一――いくつかのシチュエーションにおいてこの歌を読むと
    本田瑞穂――「昼深し」が現実的な手触りを加える

    「ゴニン デ イッシュ」とは
    | 第2回(卵) | 21:53 | - | - | - | - |