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ゴニン デ イッシュ





        互いの読みを持ち寄ることで、
        歌の味わいが変わっていく(かも)。
        毎月ある短歌1首について5人が鑑賞文を書く、
        「山羊の木」の期間限定企画です。
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【第3回(みずな)】奥田亡羊
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    gonin3okuda



     まず、作品を一行に書き直してみたい。そうすることで、いろいろなことが見えてくるからだ。斜線は句の切れ目である。

    「水菜買いに/きた」三時間/高速を/とばしてこのへやに/みずなかいに。

     〈「水菜買いにきた」三時間高速を〉の部分が上句。初句が字余りである以外はきっちり定型に収まっている。〈とばしてこのへやにみずなかいに。〉は助詞の「に」で二つの句に分けられる。四句が九音、結句が六音の破調となるが、句と句のバランスは悪くない。全体では三十三音。思いのほか定型を意識した作品といえる。

     表記を見ると上句は漢字が多く、下句はすべて平仮名だ。また初句と結句は同じ言葉を繰り返している。上句と下句とを対比させて、そのニュアンスの違いを読ませるのが、この作品のねらいと考えてよいだろう。

     では、本来の四行表記に戻ろう。

     鍵括弧で括られている最初の「水菜買いにきた」は誰か他者に向けられた言葉だ。この唐突さと、初句の字余りのボリュームを抱えたまま次へとなだれこんでゆく勢いが、ある切迫した心理状態を伝えている。ところが歌のリズムは二行目の〈とばしてこのへやに〉で転調する。平仮名表記や三、四行目の改行が歌の勢いにブレーキを踏み、自らの意識へ沈潜してゆくような、訥々とした感じを生んでいる。後半は語りかける他者をなくしたモノローグなのだ。

     表現上のもっとも大きな特徴は見ての通りの“分かち書き”である。とくに結句の改行は歌のリズムを決定して重要だ。また、助詞の使い方にも特徴がある。二回繰り返される「水菜買いに」の「を」の省略は作中主体の口調を強く印象づける。さらに二行目と四行目の「に」の重なりは破調への重石としてうまく機能している。いずれも一行表記ではキズになりかねない部分だ。作者は分かち書きの効果と、分かち書きゆえに可能となる表現をよく心得ているのだろう。

     内容については、これがどんな場面なのか、「水菜」が何かの比喩なのかを知りたいところだが、いくら考えても答は出ないのかもしれない。たとえば「このへや」の「この」という指示語は、他ではない一つの部屋を指しながら、それがどのような場所なのかを語ろうとはしない。ヘンゼルとグレーテルのパンの道しるべのようなものだ。何らかの現実から詠み起こされたとしても、そこに戻る道はもう失われている。私たちはこの歌に残された悲しみだけを受け取ればよいのだ。



    奥田亡羊(おくだ・ぼうよう)
    1967年、京都生まれ。「心の花」会員。2005年、第48回短歌研究新人賞受賞。
    2008年、第一歌集『亡羊』で第52回現代歌人協会賞受賞。



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    小島なお――夢と現実の狭間を漂う
    佐藤通雅――これはプロポーズの歌だ
    永井祐――わたしはみずなと親しくない
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    「ゴニン デ イッシュ」とは
    | 第3回(みずな) | 05:48 | - | - | - | - |