2010.01.11 Monday
【第4回(罪)】虫武一俊
この歌のポイントは、「腕」はどっちのものか? というところにあると思います。月を見ている歌の主人公か、月そのもののものか。
今回、私は『「腕」は月のもの』という側に立って読みました。決め手になったのは、月と闇の関係の深さです。
私は高校生のとき、いつも星を見ながら家に帰っていたのですが、星を見る癖のある人間にとって月は邪魔な存在です。明るすぎて、まわりの星を消してしまうからです。
星の消えた空間は、文字通りなにもない暗闇です。つまり、「完璧な闇」になっています。
いまでこそ文明の発達により街灯やネオンなどからによる似たような闇がありますが、世界のどこにいても、どこからでも見ることができる「闇」は月のまわりのものだけです。そして文明以前、人類以前からあったものも、また月だけ。月のまわりの「闇」は、地球の夜空に最初に出来た「完璧な闇」と言えます。
月と闇は、地球においてほとんど同じ時間を過ごしてきているわけです。十分に、関係の深いものと言えるのではないでしょうか。
罪、闇、と単語を並べられると、やはりそのふたつを関連づけて考えてしまいます。
月は生まれたときから、そこにいるというだけで、闇をよせてしまっている。しかも地球の夜空において、最初に完璧な闇をよせたものとして。宿命、と言えるかもしれません。なにかを傷つけようとしているわけではないのに、腕の内側、ふところに闇はよせられ、入りこんでしまう。
ただ生きてきただけだったのに、どうしようもなく罪を得てしまった。自分じゃない、と叫びたくても、自分以外のほかの誰にも渡りえないようなものを。
そうした立場になってしまったとき、ふと夜空を見上げてみると、月も闇をそばに抱えている。なのにまったく堂々としていて、夜空にまぶしく輝いている。
おそらくこの歌の主人公は、そんな月の姿に励まされたことがあるのではないでしょうか。
月の明るい夜が、これからはいままでと違って見えてきそうです。
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虫武一俊(むしたけ・かずとし)
1981年生まれ。大阪府に育ち、現在も在住。2008年に短歌を始める。
http://blog.livedoor.jp/kitakawachi/
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