2010.01.11 Monday
【第4回(罪)】高島裕
一読、古典和款を踏まえているのがわかる。和泉式部の「冥きより冥き道にぞ入りぬべきはるかに照らせ山の端の月」「中空にひとり有明の月を見て残る限なく身をぞ知りぬる」などがすぐに思い浮かぶ。夜の闇の高みにひときわ明るく、美しく浮かぶ光体は、人の心の暗部、人間存在の抱えるどうしようもない罪業を照らし出し、人にその自覚を促すものと思念され、和歌の宇宙に位置づけられた。その伝統的位置づけは、現在のポップミュージックの歌詞にまで継承されている。
この一首の見どころは、月についてのこうした伝統的位置づけを踏まえつつ、それを逆の視点から捉え返している点である。月は罪を得た身が眺めてこそ真に美しい。残念ながら非力な私は未だ大した罪を犯しておらず、月の真の美しさを知らない。
こういう逆説的な見方は、古典和歌の時代に比して、現代がどうしようもなく卑小な時代であることへの嘆きを秘めている。が、同時に、若々しい息づかいを感じさせる二句切れのリズムや、硬質な詞が続くのに耐えかねたように結句に溢れ出した口語的な「いる」などからは、今のこの時代を生き抜こうとする力強い意志と希望が感じ取れる。
古典和歌の美的宇宙を軸としつつ、そこから今を生きる自分を見つめ、問い返している。硬質な詞を用いているにもかかわらず、みずみずしい感触が心に残る歌である。
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高島裕(たかしま・ゆたか)
個人誌「文机」を発行。歌集『薄明薄暮集』『高島裕集』ほか。
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