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ゴニン デ イッシュ





        互いの読みを持ち寄ることで、
        歌の味わいが変わっていく(かも)。
        毎月ある短歌1首について5人が鑑賞文を書く、
        「山羊の木」の期間限定企画です。
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【第5回(公務)】高柳克弘
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    ゴニンデイッシュ高柳


    「公務員」とは、新聞の政治経済欄や、就職情報誌などで見かける呼称であり、およそ詩歌にふさわしいは言えない。さらに、「とれたて」「しぼりたる」といった用語も、テレビCMなどで繰り返し使われていることによって、すでに言葉として絶命寸前といってもいい。「とれたて」「しぼりたる」の語が「公務員」にかかっているところは、確かに一つの表現上の工夫ではあるが、ここまではミスマッチによる飄逸さはあるものの、立ち上ってくる詩情は認められない。だが、しぼりとられているものが、「真冬の星の匂いの公務」と言われると、冴え冴えとした冬の季節の実感がふいにまぎれこんでくる。この七七によって、「公務員」に掛かっていた「とれたて」「しぼりたる」の語が、「真冬の星」のみずみずしさの形容ともなり、鼻の奥をつんとさせる澄み切った夜空の「匂い」を伝えてくる。同時に、世俗に置いては、俗悪や怠惰の具現とされる「公務員」が、真冬の星にも似た孤独悲を持つ、一人の人間として捉えなおされることになる。

    この歌は単純な比喩の歌と見るべきではない。「とれたての公務員」を、新人公務員の喩であると解釈したり、「しぼりとる」を労働による搾取だとみなしたりしてしまえば、この歌の味わいが台無しになってしまうだろう。一首を読み終えたとき、言葉の質感が、ふっと変化する、その微細な気息を味わえば足る歌だ。イメージ化すらも拒むところがあるが、仕事帰りに夜空を見上げている、肩をしぼめた背広姿のひとりの男の姿ぐらいは思い浮かべても、この歌の妙味は壊されないだろう。

    散文の洪水の中で窒息寸前の言葉たちを救い出し、蘇生させる救命士のような役割が、詩人としての笹井に招命されているところではないか。

    摂津幸彦の俳句に「物干しに美しき知事垂れてをり」がある。ともに、権威へ向けてアイロニカルな視線を投げかけているという言葉の志向に共通性がある。とはいえ、この句の背後にいる作者摂津がデモーニッシュに哄笑しているのに比して、掲出歌における笹井は、さびしげに微笑んでいるようだ。その相違が、俳句には存在しない七七に由来しているところが、俳句と短歌との本質的相違をも物語っているようで、興味深い。笹井の歌における、「公務員」という言葉の蘇生はそのまま、「公務員」というシステム化された存在そのものへの寄り添いにつながっていく。笹井の歌はしばしば「優しさ」と評されるが、単なる同情や共感による陳腐な「優しさ」などではない。ともに傷を負う存在としての共鳴が、笹井の歌にある切実さを与えている。それを現代性と呼んでもさしつかえないだろう。



    睫克弘(たかやなぎ・かつひろ)
    俳人。一九八〇年、静岡県浜松市生まれ。俳句結社「鷹」編集長。句集に『未踏』(ふらんす堂)、著書に『凛然たる青春』(富士見書房)、『芭蕉の一句』(ふらんす堂)。ブログ http://sun.ap.teacup.com/katsuhiro/

    【第5回】他の4人を読む
    今橋愛――わたしも冬の星を知っている。
    島なおみ――言葉の意味の連関を少しずつずらしてゆく喩法
    山田航――つまらないものが、きらきら輝きを放ち始める
    吉川宏志――引き算のかたちで見えてくる「私」

    「ゴニン デ イッシュ」とは
    | 第5回(公務) | 07:41 | - | - | - | - |