ゴニン デ イッシュ2020-11-07T16:58:39+09:00
互いの読みを持ち寄ることで、
歌の味わいが変わっていく(かも)。
毎月ある短歌1首について5人が鑑賞文を書く、
「山羊の木」の期間限定企画です。
JUGEM「ゴニン デ イッシュ」第6回(逆)http://tanka.yaginoki.com/?eid=8465762010-07-25T01:38:26+09:002010-12-15T17:39:29Z2010-07-24T16:38:26Z
今月の5人
■宇都宮敦――孤絶の希求が連帯の希求に重なる
■岡本雅哉――これだから自意識過剰な人は
■荻原裕幸――社会が社会の視点を取り戻した
■加藤治郎――日常の秩序が狂っていく
■松村正直――すこぶる現代的な、デジタル時代の歌
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最終回、第6回の短歌は、穂...minaishikawa第6回(逆)
今月の5人
■宇都宮敦――孤絶の希求が連帯の希求に重なる
■岡本雅哉――これだから自意識過剰な人は
■荻原裕幸――社会が社会の視点を取り戻した
■加藤治郎――日常の秩序が狂っていく
■松村正直――すこぶる現代的な、デジタル時代の歌
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最終回、第6回の短歌は、穂村弘「出ようとしては切りまくる買い換えた携帯電話のボタンが逆」(「短歌」2010年5月号)です。
今回お願いしたのは、非常に切れ味の鋭い論と作品で新しい短歌を拓く宇都宮敦さん、各種投稿サイトなどで活躍中、ご自身のブログで「ゴニン デ イッシュ」第1回からずっと併走し続けてくださった岡本雅哉さん、ニューウェーブ短歌・ネット短歌の長兄的存在(?)荻原裕幸さん、エネルギッシュに現代短歌の現在を担い続ける加藤治郎さん、「やさしい鮫日記」好評更新中、塔短歌会編集長の松村正直さん(50音順)です。
最近の穂村弘さんの短歌の面白さ/語り難さがぎゅぎゅっと詰まった回になりました。
「ゴニン デ イッシュ」は、今回で終了します。
ご参加くださった皆様、読んでくださった皆様、本当にありがとうございました。
この記事と、「ゴニン デ イッシュ」とはのみ、コメント・トラックバックできる設定になっています。ご意見、ご感想をお待ちしております。
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■「ゴニン デ イッシュ」とは]]>【第6回(逆)】宇都宮敦http://tanka.yaginoki.com/?eid=8465752010-07-25T01:36:51+09:002010-12-15T17:39:30Z2010-07-24T16:36:51Z
「携帯電話を買い換えたら、通話ボタンと終話ボタンの位置が前の電話と逆なので、着信があったときに何度も押し間違えてしまう」ってことを詠んだ歌で、内容的にはそれ以上でもそれ以下でもないと思うけど、こう書き下すと「あるあるとほほネタ」的なニュアンスを含ん...minaishikawa第6回(逆)
「携帯電話を買い換えたら、通話ボタンと終話ボタンの位置が前の電話と逆なので、着信があったときに何度も押し間違えてしまう」ってことを詠んだ歌で、内容的にはそれ以上でもそれ以下でもないと思うけど、こう書き下すと「あるあるとほほネタ」的なニュアンスを含んでしまって、それはちょっと待ってと言いたくなる。油断すると、あー、こういうことありそー、みたいに共感センサーが反応しそうになるが、そもそも、通話ボタンと終話ボタンが逆位置の携帯電話なんてあったっけ? や、僕がその手のデバイスに詳しくないだけで実際あるのかもしれないけれど、あったとしてもかなりの少数派だろう。なので、この歌の主人公は「あるある」な状況におかれているというよりも、むしろ、ありえない状況に放り込まれているといえるのではないか。
んー、放り込まれている、っていう悪夢的な感じもなんか違うか。だって、二句が「切“り”まくる」でしょ。否応なしの状況での、右往左往だったり、困惑だったり、(おおげさだけど)絶望だとしたら「切“れ”まくる」と受動態になるんじゃないかしら。
リズムの面でも、結句の6は、助詞や助動詞を補えばかんたんに7になるのに(例:ボタンが逆だ)、そうしないことで、やっぱり共感を阻んでいるし、この結句6音がかすむほどの二句2音欠落はそこに強い意志があるからだろう(たんに、不通状態のリズム的な見立てでしかないとしたら、この二回の字足らずはやりすぎだと思う)。
結局、僕が感じたことを端的に表せば、自覚的に間違え続けるために、きわめて人工的にありえない状況を(それが言いすぎなら、かんたんに回避できるはずの状況を)こしらえている歌、ということになります。
こう書いちゃうと、たんにマッチポンプでキレているだけの歌になってしまうが(実際、はじめ、ここで読むのをやめようかなと思ったりもしたが)、この二重の虚構性は、より深い孤絶を、もしくは、拒絶してさえも通じる奇跡的な連帯を希求するために生じているのだと思う。
僕の読みは、初句「出ようとしては」を字義通りとって、孤絶よりも連帯の希求のほうに重心を置きたい感じ。もっと言えば、孤絶の希求が連帯の希求に重なるようなどこかに向けて作られた歌なんじゃないかなあと思うのです。
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宇都宮敦(うつのみや・あつし)
2000年3月、枡野浩一仮設ホームページのBBS「マスノ短歌教信者の部屋」に迷い込んだことがきっかけで短歌を作りはじめる。第4回歌葉新人賞次席。
ブログ「Waiting for Tuesday」http://air.ap.teacup.com/utsuno/
【第6回】他の4人を読む
■岡本雅哉――これだから自意識過剰な人は
■荻原裕幸――社会が社会の視点を取り戻した
■加藤治郎――日常の秩序が狂っていく
■松村正直――すこぶる現代的な、デジタル時代の歌
■「ゴニン デ イッシュ」とは]]>【第6回(逆)】岡本雅哉http://tanka.yaginoki.com/?eid=8465732010-07-25T01:21:26+09:002010-12-15T17:39:30Z2010-07-24T16:21:26Z
穂村弘の作品で、“動作”を詠んだ短歌としては、
次の一首が思い浮かんだ。
「自転車のサドルを高く上げるのが夏をむかえる準備のすべて」
シンプルでありながら、魅力的な情景を詠った傑作だと思う。
しかし、今回のテーマとなった短歌は、ちょっとキャ...minaishikawa第6回(逆)
穂村弘の作品で、“動作”を詠んだ短歌としては、
次の一首が思い浮かんだ。
「自転車のサドルを高く上げるのが夏をむかえる準備のすべて」
シンプルでありながら、魅力的な情景を詠った傑作だと思う。
しかし、今回のテーマとなった短歌は、ちょっとキャラ間違えてない?
そう思うくらい、なんてことのない歌である。
“携帯電話を変えたあと、電話に出ようと思ったら、
「通話ボタン」と「終話ボタン」の位置が、
それまで使っていたものとは左右逆に付いていて、
そのたび「終話ボタン」を押して電話を切ってしまい、
あせるあまりボタンの位置を確認することも忘れ、
何度も何度も相手からの電話を切ってしまった。”
……で?
これはまさか、作者のエッセイでおなじみの、
“世界音痴な私”アピールですか……?
あ、そういうの僕、間に合ってるんですよね……。
こう見えてもけっこう、原田宗典とか好きで、
もうトホホ体験は食傷気味っていうか、
やっぱり穂村さんには「シンジケート」みたいな短歌を……。
いや、ちょっとまてよ。
携帯電話のボタンって、みんな一緒の位置じゃなかったっけ?
僕の経験上、機種変更しても、
「左は通話ボタン」、「右は終話ボタン」、
それは変わらなかったはず……。
業界基準で決まってたりするんじゃなかろうか……。
―“総務省総合通信基盤局電気通信事業部”に電話して聞いてみました。
結論から言えば、
国内で販売されている携帯電話の構造は、やはり。
「左が通話ボタン」、「右が終話ボタン」、
という形になっているそうです。
そうなると、
「買い換えた携帯電話のボタンが逆」、
この部分の意味がわからない。
……思い出した。
かつてきいた、作者の人柄についての噂。
なんでも、せっかくメガネをやめて、
コンタクトレンズを入れたのにも関わらず、
“あいだにメガネという壁を挟むことなしに、いきなり世界と向き合うなんて無理だ”、
なんてよくわからない言い訳をして、
コンタクトをした目の上から、
“レンズなしメガネ”をかけていたような男だという。
なんて、めんどくさい……。
だからきっとこの短歌は、
作者のそういう類の感受性が暴走した結果、
「最新の携帯だから、ボタンが逆になっているくらいの進化はしてるだろう」、
そう思い込んで逆のボタンを押しまくってしまった、
そんなところだろう。
とても、めんどくさい……。
そう自分を納得させていたところ、
先日、職場に営業に来た若いサラリーマンが、
打ち合わせの際、
傍らにいまをときめくiPhoneを置いた。
もしや、と思って聞いてみたところ、なんと。
iPhoneの「通話ボタン」と「終話ボタン」は、
通常の日本の携帯電話とは逆についているという。
通話ボタン、間違えなかった?と訊くと、
「やっぱり最初は切っちゃいましたね……」
そうか!
穂村氏はiPhoneに乗り換えたんだ。
それを遠回しに表現したのがこの短歌だったんだ。
素直にiPhone持ってますよ、といえばいいのに。
これだから自意識過剰な人は……。
ほんと、めんどくさい……。
でも、考えてみれば、
「自転車のサドルを高く上げるのが夏をむかえる準備のすべて」
この歌も、一見かっこいいけど、
作者がこう思って、「決まった……フッ」、
なんて悦に入っているのを尻目に、
彼のパートナーは、
たんすにぐちゃぐちゃに入った彼の夏服の準備や、
「行こう」と言ったっきり手付かずの帰省旅行の計画や、
よく飲むくせに作者はつくらない麦茶のポットやティーバッグの準備など、
すべての夏をむかえる準備を一手に引き受けて、
てんてこまいなんじゃないか。
穂村弘。やっぱり、めんどくさい……だけど好きだ。
★
岡本雅哉(おかもと・まさや)
東京都生まれ。2005年、枡野浩一の「かんたん短歌blog」をきっかけに作歌を始める。主に「かんたん短歌blog」、「笹短歌ドットコム」、「かとちえの短歌教室シリーズ」等に投稿。企画『“Perfume”で付け句!(2008〜)』、『ロクニン デ イッショ♪(2009〜)』。単語帳風短歌集『Schoolgirl Trips(2009)』。
blog「なまじっか…」 http://furyu.way-nifty.com/namajikka/
Twitter ID @masayaokamoto
【第6回】他の4人を読む
■宇都宮敦――孤絶の希求が連帯の希求に重なる
■荻原裕幸――社会が社会の視点を取り戻した
■加藤治郎――日常の秩序が狂っていく
■松村正直――すこぶる現代的な、デジタル時代の歌
■「ゴニン デ イッシュ」とは]]>【第6回(逆)】荻原裕幸http://tanka.yaginoki.com/?eid=8465742010-07-25T01:19:13+09:002010-12-15T17:39:30Z2010-07-24T16:19:13Z
穂村弘の短歌の印象が大きく変化したと感じたのは、歌集『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』をまとめる直前の頃だが、一人称を手紙魔の女性として設定するなど、方法的なファクターが表面を覆っていて、根本のところで何が変化したのか、まるで理解できないでい...minaishikawa第6回(逆)
穂村弘の短歌の印象が大きく変化したと感じたのは、歌集『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』をまとめる直前の頃だが、一人称を手紙魔の女性として設定するなど、方法的なファクターが表面を覆っていて、根本のところで何が変化したのか、まるで理解できないでいた。昨今の作品を読むと、その変化が何によるものなのか、少しづつあきらかになって来ているように思う。単純化して述べてしまうと、以前は、たとえば歌集『シンジケート』に見られるように、私の失敗、を絶対的に許容しつづける誰かの存在が感じられて、以後は、私の失敗、を無言で責め続ける誰かの存在が感じられるのだ。
この「携帯電話」の一首は、以前から変化のない、どこかちょっと不器用な一人称が描かれてはいるが、以前には見られた、誰か絶対的な許容者に支えられながらそれを笑いとばしてしまうだけの明るさがどこにもない。読者としても、読んでこの不器用さを笑うことに何かためらいが生じるのだ。それほど不器用ならもっと慎重に行動しろよ、とも思うのだが、これだけ単純な動作で失敗を繰り返す背景には、よほどの焦慮や緊張が渦巻いているのだと考えるのが妥当だろう。以前、不器用なのにスマートな行動に憧れるという印象だった一人称はここにはおらず、誰かに無言で失敗を責め続けられるがゆえ、不器用なのに完璧な行動を求める一人称の姿が浮かんで来る。行動の基準にあるものが、恋人の視点から社会の視点に変化したと言えば、そこに一人称の成長に類するものを見ることもできそうだが、一九八〇年代は、社会の視点が恋人の視点であって、現在は、社会が社会の視点を取り戻したのだと、そう理解しておいた方が的確な気はする。
★
荻原裕幸(おぎはら・ひろゆき)
1962年生まれ。名古屋在住。歌人。
ブログ http://ogihara.cocolog-nifty.com/
【第6回】他の4人を読む
■宇都宮敦――孤絶の希求が連帯の希求に重なる
■岡本雅哉――これだから自意識過剰な人は
■加藤治郎――日常の秩序が狂っていく
■松村正直――すこぶる現代的な、デジタル時代の歌
■「ゴニン デ イッシュ」とは]]>【第6回(逆)】加藤治郎http://tanka.yaginoki.com/?eid=8465722010-07-25T01:17:07+09:002010-12-15T17:39:30Z2010-07-24T16:17:07Z
電話がかかってくる。「切りまくる」というのだから、実際にはまず出るのだ。「出ようとしては」出て「切りまくる」ということである。意識が一部飛んでいるのだ。何回も電話がかかってくる。そして「切りまくる」。借金の催促でないとすれば、これは女性からの電話...minaishikawa第6回(逆)
電話がかかってくる。「切りまくる」というのだから、実際にはまず出るのだ。「出ようとしては」出て「切りまくる」ということである。意識が一部飛んでいるのだ。何回も電話がかかってくる。そして「切りまくる」。借金の催促でないとすれば、これは女性からの電話である。女性からしつこく電話がかかってくるのだ。女性からの電話に男も参っている。だから意識が切迫して場面が飛ぶのである。携帯電話を買い換えたのも、電話番号を変えるためだ。それもすぐ突き止められた。怖ろしい。下句は、ボタンの配列が逆ということだ。123456…ではなく、789456…と並んでいる。日常の秩序が狂っていく様を象徴している。
句の構成は〈出ようとしては/切りまくる/買い換えた/携帯電話の/ボタンが逆〉で、7・5・5・8・6と読みたい。初句7音、下句の8音・6音は、?本邦雄調である。この歌の場合、いびつで不条理な感覚を反映している。
★
加藤治郎(かとう・じろう)
1959年、名古屋市生まれ。早稲田大学教育学部社会科卒業。現在、富士
ゼロックス株式会社ソリューション・サービス営業本部勤務。ブログは、
http://jiro31.cocolog-nifty.com/
【第6回】他の4人を読む
■宇都宮敦――孤絶の希求が連帯の希求に重なる
■岡本雅哉――これだから自意識過剰な人は
■荻原裕幸――社会が社会の視点を取り戻した
■松村正直――すこぶる現代的な、デジタル時代の歌
■「ゴニン デ イッシュ」とは]]>【第6回(逆)】松村正直http://tanka.yaginoki.com/?eid=8465682010-07-25T01:00:04+09:002010-12-15T17:39:30Z2010-07-24T16:00:04Z
新しく買った携帯電話の「通話」と「切断」のボタンが以前のものとは左右逆になっていて、電話に出ようと思ってボタンを押すたびに間違って電話を切ってしまう、という歌。確かに、携帯電話の「通話」「切断」のボタンはエレベーターの「開」「閉」のように紛らわし...minaishikawa第6回(逆)
新しく買った携帯電話の「通話」と「切断」のボタンが以前のものとは左右逆になっていて、電話に出ようと思ってボタンを押すたびに間違って電話を切ってしまう、という歌。確かに、携帯電話の「通話」「切断」のボタンはエレベーターの「開」「閉」のように紛らわしい。
言葉の上では「切りまくる」の「まくる」がいいのだろう。電話を「掛けまくる」とはよく言うが「切りまくる」というのは珍しい。戯画的な表現ではあるけれど、作者の慌てている感じがよく出ていると思う。5・7・5・7・7の定型と7・5・5・8・6(出ようとしては/切りまくる/買い換えた/携帯電話の/ボタンが逆)の意味の切れ目とのギクシャクしたリズムや最後が「逆」でプツリと終っている所も、混乱と動揺を表すのに効果的だ。
でも、この一首だけであれば、取り立ててどうってことのない歌だろうと私は思う。
連作で読むと少し違ってくる。この歌より前に「黒電話」の歌が二首出てくるのだ。
僕んちに電話が来たぞつやつやのボディーに映る3つの笑顔
黒電話が家に来た日を思い出す 今朝シュレッダーが家に来た
そう言えば、昔の黒電話だったら受話器を「取る」「下ろす」の動作を間違えるはずもなかったよなぁ、と思う。懐かしい黒電話の歌を背景にして読むと、この携帯電話の歌はすこぶる現代的な、デジタル時代の歌という気がしてくる。そこが一番のポイントだろう。私たちは、こうしたボタンの位置などを、言わば無数に覚えていかなければ、うまく生きていくことができないのだ。
私の持っている携帯電話の「通話」「切断」のボタンには黒電話のマークが描いてある。それぞれ受話機が上った状態と下りている状態の絵だ。こんな絵だって、時代とともにいつか無くなっていくのだろう。(もう無くなっているのか?)
★
松村正直(まつむら・まさなお)
1970年東京生まれ。塔短歌会編集長。歌集に『駅へ』『やさしい鮫』。現在、初めての評論集を準備中。
HP 「鮫と猫の部屋」http://www.ac.auone-net.jp/~masanao/
ブログ「やさしい鮫日記」http://blogs.dion.ne.jp/matsutanka/
【第6回】他の4人を読む
■宇都宮敦――孤絶の希求が連帯の希求に重なる
■岡本雅哉――これだから自意識過剰な人は
■荻原裕幸――社会が社会の視点を取り戻した
■加藤治郎――日常の秩序が狂っていく
■「ゴニン デ イッシュ」とは]]>「ゴニン デ イッシュ」第5回(2010年3月)http://tanka.yaginoki.com/?eid=8268772010-03-07T15:19:38+09:002010-12-15T17:39:30Z2010-03-07T06:19:38Z
今月の5人
■今橋愛――わたしも冬の星を知っている。
■島なおみ――言葉の意味の連関を少しずつずらしてゆく喩法
■高柳克弘――ともに傷を負う存在としての共鳴
■山田航――つまらないものが、きらきら輝きを放ち始める
■吉川宏志――引き算のかたちで見えてくる「私」
...minaishikawa第5回(公務)
今月の5人
■今橋愛――わたしも冬の星を知っている。
■島なおみ――言葉の意味の連関を少しずつずらしてゆく喩法
■高柳克弘――ともに傷を負う存在としての共鳴
■山田航――つまらないものが、きらきら輝きを放ち始める
■吉川宏志――引き算のかたちで見えてくる「私」
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第5回の短歌は、笹井宏之「公務」(「歌壇」2009年2月号)から。笹井さんが亡くなってもう1年ですが、まだまだ語り合うことは残されています。
遺歌集も切に待たれますね。
今回お願いしたのは、[sai]、セクシャルイーティング、その他いろいろでお世話になっている大好きな今橋愛さん、短歌の世界に刺激的な話題を提供し続けている、短歌結社「弦」の島なおみさん、俳句結社「鷹」の編集長、昨年第一句集『未踏』を上梓された高柳克弘さん、昨年短歌研究評論賞と角川短歌賞をダブル受賞された山田航さん(次号から「pool」正式加入です!)、そして、美しい歌と誠実な論考で短歌界を牽引する吉川宏志さん(50音順)です。
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■「ゴニン デ イッシュ」とは]]>【第5回(公務)】今橋愛http://tanka.yaginoki.com/?eid=8262152010-03-03T07:42:51+09:002010-12-15T17:39:30Z2010-03-02T22:42:51Z
公務員という言葉の意味がわからないので知人にあれこれ聞いた。
そうすると、現在のこの国における公務員の過酷な労働状況のことなどを知った。
わたしはそれをはっきりとは思い浮かべられなかった。そして、ああそうかと思った。
この作者も多分一緒だ。あるいは...minaishikawa第5回(公務)
公務員という言葉の意味がわからないので知人にあれこれ聞いた。
そうすると、現在のこの国における公務員の過酷な労働状況のことなどを知った。
わたしはそれをはっきりとは思い浮かべられなかった。そして、ああそうかと思った。
この作者も多分一緒だ。あるいは、もっとぼんやりとしか結べないんじゃないのかなあって。
だから、このうたの公務\公務員は、例えば庭に生えているはっぱの一枚というくらい。それをむしって、おもしろがってふふふ、と笑っているそれであって、先ほどの公務員という意味やメッセージからは、かなり遠いそれと感じる。
そういうところからは大きく隔てられた場所が、この人の世界だったのでしょう。
むしろ、真冬の星の匂い。
この言葉にはこの人の実感がある気のする。
この人は佐賀の有田というところの人です。陶器の町。
この人は公務員というはっぱを ぴゃっとむしり、それをくしゃっとすると、そこからうつくしい冬の気配や空気とともに星の匂いがするのだと言う。いい詩だなあと思う。
わたしも冬の星を知っている。この人と同じ陶器の町の冬。
車をとめて空を見上げると、星が、目にすごく近くてきれいだったのを思い出せる。
空気は冴えている。耳には何の音もしない。もししていても聞こえていない。冴えている、どころではない。冴えきっている。そう、冴えきっていた─町はちがっても、陶器の町は。どこか似ている気のする。この人も よく似た冬の星を見ていたんだろうなと想像する。ずっと都会で暮らすひとには、つくれないうただなあと思ったりもする。
このうたを読み終えると、こころのどこかが浄化されているような気がする。
とうめいなあめ玉を、すうっと、なめ終えている感じ。
わたしならば、わたしの知る陶器の町の、ある冬を この一行で、もう体感しなおしている感じ。
歌壇2月号。ひとつ前にはこんなうたがある。
はるまきがみんなほどけてゆく夜にわたしは法律を守ります
下句。だいたいの人は、こんなことは言わないらしい。だけど。なんだかなあ。この人の「法律を守ります」は「ほんとに」守るような気がしてくる。なんか。なんでか。
★
今橋愛(いまはし・あい)
1976年大阪市生まれ。
2002年北溟短歌賞受賞。歌集「O脚の膝」。
同人誌〔sai〕、未来短歌会に所属。ホームページhttp://www.aaaperson.jp/
【第5回】他の4人を読む
■島なおみ――言葉の意味の連関を少しずつずらしてゆく喩法
■高柳克弘――ともに傷を負う存在としての共鳴
■山田航――つまらないものが、きらきら輝きを放ち始める
■吉川宏志――引き算のかたちで見えてくる「私」
■「ゴニン デ イッシュ」とは]]>【第5回(公務)】島なおみhttp://tanka.yaginoki.com/?eid=8262142010-03-03T07:42:18+09:002010-12-15T17:39:30Z2010-03-02T22:42:18Z
畑ではたわわに《公務員》が実っている。もぎ取ってジューサーにかける。搾り取ることができたのは、太陽の匂いあふれる果汁――ではなく、星の匂いのする《公務》であった。
冬に瞬く星の匂いは陰(ネガ)のイメージを帯びる。収穫と圧搾の作業も夜ひそやかに行われて...minaishikawa第5回(公務)
畑ではたわわに《公務員》が実っている。もぎ取ってジューサーにかける。搾り取ることができたのは、太陽の匂いあふれる果汁――ではなく、星の匂いのする《公務》であった。
冬に瞬く星の匂いは陰(ネガ)のイメージを帯びる。収穫と圧搾の作業も夜ひそやかに行われているのだろう。
すでに《公務員》の姿はない。あとに残るのは搾り取られた《公務》だけだ。ほとんど無臭の冷えた星の匂いが動く。
†
「とれたて」「しぼりとる」は平仮名表記。舌足らずな少年の口調のようでもある。だが言葉の余分な意味の枝葉が刈り取られ、極端に抽象化されている。だから発話主体である作者自身の息づかいや体温は1首の中では薄まっている。
また、「人が去って星(のようなもの)が残る」というタルホ的世界観は、どこか懐かしく甘美だ。この甘さ懐かしさは短歌形式と親和性が高い。甘さに流れ過ぎた分「公務」などという固い言葉で踏みとどまっている。
格助詞「の」の繰り返しが韻律にバランスを与えている。特に下句の〈「名詞(2音)」+「の」+「名詞(3音)」+「の」+「名詞(3音)」+「の」+「名詞(3音)」=体言止め〉から生じるリズムは、一読、超現実的なテーマを音の安定感で支えてもいる。
「とれたて」「しぼりとる(果汁などを)」/「しぼりとる(血税などを)」「公務員」/「公務員」「公務」と、言葉の意味の連関を少しずつずらしてゆく喩法は、イメージの高次元への広がりを感じさせる。
作者・笹井宏之が語り手としての気配をうまく消したことも、超現実の風景を現前にあり得るべき風景のように提示するのに一役買っている。
甘い匂いの少年性と、清冽な凄みが共存する。作者の生涯を象徴するような1首と思われた。
★
島なおみ(しま・なおみ)
2007年より、歌の文芸誌「弦 GEN」の企画・編集を担当。
短歌ブログ http://absolutepitch.typepad.jp/
地元・富山市で、Epeeの会を運営しています。
【第5回】他の4人を読む
■今橋愛――わたしも冬の星を知っている。
■高柳克弘――ともに傷を負う存在としての共鳴
■山田航――つまらないものが、きらきら輝きを放ち始める
■吉川宏志――引き算のかたちで見えてくる「私」
■「ゴニン デ イッシュ」とは]]>【第5回(公務)】高柳克弘http://tanka.yaginoki.com/?eid=8262132010-03-03T07:41:26+09:002010-12-15T17:39:30Z2010-03-02T22:41:26Z
「公務員」とは、新聞の政治経済欄や、就職情報誌などで見かける呼称であり、およそ詩歌にふさわしいは言えない。さらに、「とれたて」「しぼりたる」といった用語も、テレビCMなどで繰り返し使われていることによって、すでに言葉として絶命寸前といってもいい。「と...minaishikawa第5回(公務)
「公務員」とは、新聞の政治経済欄や、就職情報誌などで見かける呼称であり、およそ詩歌にふさわしいは言えない。さらに、「とれたて」「しぼりたる」といった用語も、テレビCMなどで繰り返し使われていることによって、すでに言葉として絶命寸前といってもいい。「とれたて」「しぼりたる」の語が「公務員」にかかっているところは、確かに一つの表現上の工夫ではあるが、ここまではミスマッチによる飄逸さはあるものの、立ち上ってくる詩情は認められない。だが、しぼりとられているものが、「真冬の星の匂いの公務」と言われると、冴え冴えとした冬の季節の実感がふいにまぎれこんでくる。この七七によって、「公務員」に掛かっていた「とれたて」「しぼりたる」の語が、「真冬の星」のみずみずしさの形容ともなり、鼻の奥をつんとさせる澄み切った夜空の「匂い」を伝えてくる。同時に、世俗に置いては、俗悪や怠惰の具現とされる「公務員」が、真冬の星にも似た孤独悲を持つ、一人の人間として捉えなおされることになる。
この歌は単純な比喩の歌と見るべきではない。「とれたての公務員」を、新人公務員の喩であると解釈したり、「しぼりとる」を労働による搾取だとみなしたりしてしまえば、この歌の味わいが台無しになってしまうだろう。一首を読み終えたとき、言葉の質感が、ふっと変化する、その微細な気息を味わえば足る歌だ。イメージ化すらも拒むところがあるが、仕事帰りに夜空を見上げている、肩をしぼめた背広姿のひとりの男の姿ぐらいは思い浮かべても、この歌の妙味は壊されないだろう。
散文の洪水の中で窒息寸前の言葉たちを救い出し、蘇生させる救命士のような役割が、詩人としての笹井に招命されているところではないか。
摂津幸彦の俳句に「物干しに美しき知事垂れてをり」がある。ともに、権威へ向けてアイロニカルな視線を投げかけているという言葉の志向に共通性がある。とはいえ、この句の背後にいる作者摂津がデモーニッシュに哄笑しているのに比して、掲出歌における笹井は、さびしげに微笑んでいるようだ。その相違が、俳句には存在しない七七に由来しているところが、俳句と短歌との本質的相違をも物語っているようで、興味深い。笹井の歌における、「公務員」という言葉の蘇生はそのまま、「公務員」というシステム化された存在そのものへの寄り添いにつながっていく。笹井の歌はしばしば「優しさ」と評されるが、単なる同情や共感による陳腐な「優しさ」などではない。ともに傷を負う存在としての共鳴が、笹井の歌にある切実さを与えている。それを現代性と呼んでもさしつかえないだろう。
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?柳克弘(たかやなぎ・かつひろ)
俳人。一九八〇年、静岡県浜松市生まれ。俳句結社「鷹」編集長。句集に『未踏』(ふらんす堂)、著書に『凛然たる青春』(富士見書房)、『芭蕉の一句』(ふらんす堂)。ブログ http://sun.ap.teacup.com/katsuhiro/
【第5回】他の4人を読む
■今橋愛――わたしも冬の星を知っている。
■島なおみ――言葉の意味の連関を少しずつずらしてゆく喩法
■山田航――つまらないものが、きらきら輝きを放ち始める
■吉川宏志――引き算のかたちで見えてくる「私」
■「ゴニン デ イッシュ」とは]]>【第5回(公務)】山田航http://tanka.yaginoki.com/?eid=8262122010-03-03T07:23:52+09:002010-12-15T17:39:30Z2010-03-02T22:23:52Z
笹井宏之の短歌は非常に純度の高い詩的世界を形成しているが、その源泉は実は取り合わせの妙にある。いかにも詩的な言葉と、そうではない言葉を並列させることで逆に詩的純度を高めるという技巧が多用されている。
表面に〈さとなか歯科〉と刻まれて水星軌道...minaishikawa第5回(公務)
笹井宏之の短歌は非常に純度の高い詩的世界を形成しているが、その源泉は実は取り合わせの妙にある。いかにも詩的な言葉と、そうではない言葉を並列させることで逆に詩的純度を高めるという技巧が多用されている。
表面に〈さとなか歯科〉と刻まれて水星軌道を漂うやかん
この歌が典型ともいえるだろう。「水星軌道」が詩語であり、「〈さとなか歯科〉」や「やかん」は非‐詩語である。笹井の用いる非‐詩語にはいくつか特徴があり、日常的なものであること、事務的なものであること、純和風なものであることが挙げられる。
「公務員」「公務」というのはこの非‐詩語である。この言葉は一般に、身近ではあるもののお堅く事務的なイメージをまとっていると解釈できる。それが「とれたて」「しぼりとる」「真冬の星の匂い」といった詩語と組み合わされることでほのかなおかしみが生まれ、詩に奥行きが出る。どこにでもある平凡なもの、つまらないものという属性を抱えたモチーフが、異世界に移し変えられるだけできらきら輝きを放ち始める。そしてその輝きが生まれる一瞬の境界に大きく寄与しているものがほのかな笑いであるというところに笹井式二物衝突の重心があるのだ。
「公務員」という語からは、色彩的にはくすんだねずみ色のような暗いイメージがある。一方「とれたて」「しぼりとる」からは新鮮な果実のイメージが、「真冬の星」からは降り積もった雪の純白のイメージが立ち現われてくる。そしてそこに生ずるのはグラデーションではなく、ビビッドなイメージのぶつかり合いなのである。笹井の歌は全体としては淡い世界観を形作っているように見えるが、その内部にはモチーフ同士の激しい衝突がある。それは笹井自身の心の内部で繰り返され続けている、他者には決して伝わりようのない衝突なのである。美しいと思うものだけを取捨選択して自分の世界に取り入れることができない。美しいものもつまらないものもみないっしょくたになって思い思いに飛び交いぶつかり合っている世界。それを心に持ち続けることは、尋常ならざる苦痛であったと思う。そしてその苦痛がどうしても外部に伝わらず、ぼやけた淡い世界として表出してしまう。その苦しみが、「真冬の星」の寒々しさと、ルーティンワークのような「公務」とを引き合わせてしまったのだろう。
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山田航(やまだ・わたる)
1983年生まれ。「かばん」所属。2009年、現代短歌評論賞および角川短歌賞受賞。将来の野望は就職。
ブログ「トナカイ語研究日誌」http://d.hatena.ne.jp/yamawata/
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■今橋愛――わたしも冬の星を知っている。
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■高柳克弘――ともに傷を負う存在としての共鳴
■吉川宏志――引き算のかたちで見えてくる「私」
■「ゴニン デ イッシュ」とは]]>【第5回(公務)】吉川宏志http://tanka.yaginoki.com/?eid=8262102010-03-03T07:16:30+09:002010-12-15T17:39:30Z2010-03-02T22:16:30Z
「とれたての」「しぼりとる」という表現から、「公務員」をレモンのような果実にたとえていることがわかる。みずみずしいものが、圧力を加えられているイメージである。誰がしぼりとっているのかはわからない。作者である〈私〉がしぼりとっていると取れないことも...minaishikawa第5回(公務)
「とれたての」「しぼりとる」という表現から、「公務員」をレモンのような果実にたとえていることがわかる。みずみずしいものが、圧力を加えられているイメージである。誰がしぼりとっているのかはわからない。作者である〈私〉がしぼりとっていると取れないこともないが、歌の内容からすると、力をもった別の存在が主語であるような気がする(神のようなものを想定してもいい)。
「真冬の星の匂いの公務」も難解だが、秩序を守る仕事の冷たい美しさを表現しているのだと受け取っておきたい。緻密で正確な印象がある。
公務員から、「公務」を取ってしまえば、搾りかすのような「私」の領域が残る。引き算のかたちで見えてくる「私」を表現しようとした歌なのではないか。たとえば、燦然としていた官僚が、役職を失うと、みすぼらしい存在に変わってしまうことがある。公的な立場を奪われると、人間は非常に脆弱なものになってしまう。「公務」というものが、実は人間を生かしているのだともいえる。そのような公私の関係に、作者は関心を抱いていたのではなかろうか。
ここまでは読める。だが、歌の評価となるとまた別である。
さまざまなイメージがパズルのように組み合わされている感じで、一首としての迫力には乏しいと、私は思う。さまざまな読みは出るだろう。ただ、謎解きをするだけで終わってしまう歌なのではないか。「公務員」や「真冬の星」といった言葉が、記号的に用いられていて、表層的な感じがするのである。
もちろんすべての言葉は〈記号〉なのだけれど、優れた歌では、どこか記号以上のなまなましい感触を、言葉が帯びることはあるわけである。けれどもこの歌はそこまでは達していない気がする。
「公務」七首の中では、「自衛隊員のひとりが海であることをあなたにささやいて去る」を、私は秀歌だと感じる。「じえいたい/いんのひとりが/うみである/ことをあなたに/ささやいてさる」という句またがりのリズムが、おのずから不穏なものや危ういものを読者に伝えてくる。歌のなまなましさはこうして生まれる。
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吉川宏志(よしかわ・ひろし)
1969年、宮崎県生まれ。「塔」選者。歌集に『青蝉』『西行の肺』など。評論集に『風景と実感』、『対峙と対話』(大辻隆弘との共著)がある。青磁社のHPに、ときどきブログを書いています。
http://www3.osk.3web.ne.jp/~seijisya/
【第5回】他の4人を読む
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■「ゴニン デ イッシュ」とは]]>「ゴニン デ イッシュ」第4回(2010年1月)http://tanka.yaginoki.com/?eid=8175812010-01-11T04:51:54+09:002010-12-15T17:39:30Z2010-01-10T19:51:54Z
今月の5人
■高島裕――この時代を生き抜こうとする意志
■谷村はるか――罪もまた賜わり物
■東郷雄二――馬場が引き受けようとしている宿命とは
■服部真里子――少女は息をのみ、うなずく
■虫武一俊――月も闇をそばに抱えている
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またまた更新が遅くなってしまいま...minaishikawa第4回(罪)
今月の5人
■高島裕――この時代を生き抜こうとする意志
■谷村はるか――罪もまた賜わり物
■東郷雄二――馬場が引き受けようとしている宿命とは
■服部真里子――少女は息をのみ、うなずく
■虫武一俊――月も闇をそばに抱えている
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またまた更新が遅くなってしまいました。第4回の短歌は、馬場あき子『桜花伝承』から。これまでの歌とは別の意味で「ムズカシイ」一首かもしれませんが、5人の方の鑑賞文で、その魅力が読み解かれていきます。
今回お願いしたのは、富山から静謐な個人誌「文机」を発信、[sai]の同人でもある高島裕さん、昨年出版された歌集『ドームの骨の隙間の空に』が話題の谷村はるかさん、ハイクオリティな短歌評でお馴染みの東郷雄二先生、俊英揃いの早稲田短歌会の中でもひときわ個性の光る服部真里子さん、各種投稿欄で活躍中、やさぐれポップな作風が魅力の虫武一俊さん(50音順)です。
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■「ゴニン デ イッシュ」とは
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関連ページ
■東郷雄二さん「橄欖追放」短歌における読みについて
■岡本雅哉さん「ロクニン デ イッショ♪」第4回]]>【第4回(罪)】高島裕http://tanka.yaginoki.com/?eid=8175902010-01-11T04:07:43+09:002010-12-15T17:39:30Z2010-01-10T19:07:43Z
一読、古典和款を踏まえているのがわかる。和泉式部の「冥きより冥き道にぞ入りぬべきはるかに照らせ山の端の月」「中空にひとり有明の月を見て残る限なく身をぞ知りぬる」などがすぐに思い浮かぶ。夜の闇の高みにひときわ明るく、美しく浮かぶ光体は、人の心の暗部、...minaishikawa第4回(罪)
一読、古典和款を踏まえているのがわかる。和泉式部の「冥きより冥き道にぞ入りぬべきはるかに照らせ山の端の月」「中空にひとり有明の月を見て残る限なく身をぞ知りぬる」などがすぐに思い浮かぶ。夜の闇の高みにひときわ明るく、美しく浮かぶ光体は、人の心の暗部、人間存在の抱えるどうしようもない罪業を照らし出し、人にその自覚を促すものと思念され、和歌の宇宙に位置づけられた。その伝統的位置づけは、現在のポップミュージックの歌詞にまで継承されている。
この一首の見どころは、月についてのこうした伝統的位置づけを踏まえつつ、それを逆の視点から捉え返している点である。月は罪を得た身が眺めてこそ真に美しい。残念ながら非力な私は未だ大した罪を犯しておらず、月の真の美しさを知らない。
こういう逆説的な見方は、古典和歌の時代に比して、現代がどうしようもなく卑小な時代であることへの嘆きを秘めている。が、同時に、若々しい息づかいを感じさせる二句切れのリズムや、硬質な詞が続くのに耐えかねたように結句に溢れ出した口語的な「いる」などからは、今のこの時代を生き抜こうとする力強い意志と希望が感じ取れる。
古典和歌の美的宇宙を軸としつつ、そこから今を生きる自分を見つめ、問い返している。硬質な詞を用いているにもかかわらず、みずみずしい感触が心に残る歌である。
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高島裕(たかしま・ゆたか)
個人誌「文机」を発行。歌集『薄明薄暮集』『高島裕集』ほか。
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■谷村はるか――罪もまた賜わり物
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■虫武一俊――月も闇をそばに抱えている
■「ゴニン デ イッシュ」とは]]>【第4回(罪)】谷村はるかhttp://tanka.yaginoki.com/?eid=8175872010-01-11T03:38:33+09:002010-12-15T17:39:30Z2010-01-10T18:38:33Z
ポイントのひとつは「得て」。
〈罪を「得た」者だけが、この月を見る資格がある。見ればぞくりとするような強い光、昼の世界とはまったく別の世界を現出させている、この月。罪を犯さない、犯せない私にはこの月を見る資格はない。月に背を向けて闇を抱くだけだ。...minaishikawa第4回(罪)
ポイントのひとつは「得て」。
〈罪を「得た」者だけが、この月を見る資格がある。見ればぞくりとするような強い光、昼の世界とはまったく別の世界を現出させている、この月。罪を犯さない、犯せない私にはこの月を見る資格はない。月に背を向けて闇を抱くだけだ。〉
「得る」には普通、利益を得るとか、愛情を得るとか、よいものが幸運によってもたらされるというニュアンスがある。罪もまたそのようなものだと歌は言う。「罪得て」には、悪人だけでなく、やむにやまれず罪と呼ばれる行為をなさざるを得ない状況に追い込まれた者をも含んでいる感じがあり、それもまた賜り物なのだと言うようである。
「犯さざる非力の腕」を、散文的に「かよわい善人の私」とナルシシズムに解釈すべきでない。一首にはあこがれが満ちている。そしてもうひとつのポイントは結句の「闇よせている」。もし「闇よせており」と文語で結べば(この歌集は新かなですね)、歌の形(かた)はもっと決まったかもしれない。しかし、末尾にきてふと口を漏れてしまった現代語でのつぶやきは、隠していたほんとうのこころね、あこがれる側の気弱さがほころびから覗いたという風で、すこし悲しく、魅力的だ。
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谷村はるか(たにむら・はるか)
歌集『ドームの骨の隙間の空に』。「短歌人」「Es」同人。
【第4回】他の4人を読む
■高島裕――この時代を生き抜こうとする意志
■東郷雄二――馬場が引き受けようとしている宿命とは
■服部真里子――少女は息をのみ、うなずく
■虫武一俊――月も闇をそばに抱えている
■「ゴニン デ イッシュ」とは]]>