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ゴニン デ イッシュ





        互いの読みを持ち寄ることで、
        歌の味わいが変わっていく(かも)。
        毎月ある短歌1首について5人が鑑賞文を書く、
        「山羊の木」の期間限定企画です。
【第6回(逆)】宇都宮敦
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    gonin6utsunomiya


    「携帯電話を買い換えたら、通話ボタンと終話ボタンの位置が前の電話と逆なので、着信があったときに何度も押し間違えてしまう」ってことを詠んだ歌で、内容的にはそれ以上でもそれ以下でもないと思うけど、こう書き下すと「あるあるとほほネタ」的なニュアンスを含んでしまって、それはちょっと待ってと言いたくなる。油断すると、あー、こういうことありそー、みたいに共感センサーが反応しそうになるが、そもそも、通話ボタンと終話ボタンが逆位置の携帯電話なんてあったっけ? や、僕がその手のデバイスに詳しくないだけで実際あるのかもしれないけれど、あったとしてもかなりの少数派だろう。なので、この歌の主人公は「あるある」な状況におかれているというよりも、むしろ、ありえない状況に放り込まれているといえるのではないか。

    んー、放り込まれている、っていう悪夢的な感じもなんか違うか。だって、二句が「切“り”まくる」でしょ。否応なしの状況での、右往左往だったり、困惑だったり、(おおげさだけど)絶望だとしたら「切“れ”まくる」と受動態になるんじゃないかしら。

    リズムの面でも、結句の6は、助詞や助動詞を補えばかんたんに7になるのに(例:ボタンが逆だ)、そうしないことで、やっぱり共感を阻んでいるし、この結句6音がかすむほどの二句2音欠落はそこに強い意志があるからだろう(たんに、不通状態のリズム的な見立てでしかないとしたら、この二回の字足らずはやりすぎだと思う)。

    結局、僕が感じたことを端的に表せば、自覚的に間違え続けるために、きわめて人工的にありえない状況を(それが言いすぎなら、かんたんに回避できるはずの状況を)こしらえている歌、ということになります。

    こう書いちゃうと、たんにマッチポンプでキレているだけの歌になってしまうが(実際、はじめ、ここで読むのをやめようかなと思ったりもしたが)、この二重の虚構性は、より深い孤絶を、もしくは、拒絶してさえも通じる奇跡的な連帯を希求するために生じているのだと思う。

    僕の読みは、初句「出ようとしては」を字義通りとって、孤絶よりも連帯の希求のほうに重心を置きたい感じ。もっと言えば、孤絶の希求が連帯の希求に重なるようなどこかに向けて作られた歌なんじゃないかなあと思うのです。



    宇都宮敦(うつのみや・あつし)
    2000年3月、枡野浩一仮設ホームページのBBS「マスノ短歌教信者の部屋」に迷い込んだことがきっかけで短歌を作りはじめる。第4回歌葉新人賞次席。
    ブログ「Waiting for Tuesday」http://air.ap.teacup.com/utsuno/


    【第6回】他の4人を読む
    岡本雅哉――これだから自意識過剰な人は
    荻原裕幸――社会が社会の視点を取り戻した
    加藤治郎――日常の秩序が狂っていく
    松村正直――すこぶる現代的な、デジタル時代の歌

    「ゴニン デ イッシュ」とは
    | 第6回(逆) | 01:36 | - | - | - | - |